[心理×映画] 映画鑑賞記・機動戦士Zガンダム.星を継ぐ者
07年3月31日観賞。
宇宙世紀0087年。コロニー国家“ジオン公国”との“一年戦争”終結から7年、平和を取り戻した地球圏で新たな戦乱が起きようとしていた。腐敗した地球連邦政府の軍内部に地球至上主義者によって組織された“ティターンズ”と呼ばれるエリート部隊が、スペースノイド(宇宙移民者)たちへの弾圧を始めたのである。
これに対し、一部の人々は反地球連邦組織“エゥーゴ”を設立。ジオン公国のエース・パイロットであったシャア・アズナブルも、クワトロ・バジーナと名前を変え、それに参加していた。ある日、戦後に建造されたスペース・コロニー“グリーン・ノア1”で、ティターンズが開発していると言う新型の“ガンダムMk-II”を奪取すべくグリーン・ノア1に乗り込んだクワトロは、そこでアムロの再来を思わせる少年、カミーユ・ビダンと遭遇。
Mk-IIの操縦に成功したカミーユと共に、コロニーを脱出する。だがエゥーゴに参加したカミーユは、非道なティターンズによって母・ヒルダを目前で殺され、更に父・フランクリンも失う・・・(あらすじは Movie Walker より )
今回見直して気が付いたのは、以前見たときには結構目立ったなあと思った書き足し部分があまり気にならなかったこと。「2」と比較してもオリジナルテレビの絵がそのまま使われている比率は高いと思う。あるいは見慣れたせいでそう思えたのか、いずれにせよ、書き足された絵とテレビ版の絵がわからないわけではないけど。
基本的にカミーユの物語だった「Z」「ZZ」の世界をアムロとシャアの物語に再解釈したものとして考えるなら、テレビ版という重力からは魂を切り離さなければならない。そういう意味で作る側にとっても、見る側にとっても丁度いい感じで忘れることの出来る時間としてこの20年が必要だったのだと思いたい。
また年を重ね、経験を重ねた分、わからなかった理屈がわかり、思い描いていたものが消え去ってしまった今、昔を思い出すにはほろ苦すぎるドラマを新しい形で提示してもらえた事には感謝したい。どちらにせよ、あの頃には戻れないのだから、一時の夢を見るためには、テレビの絵も必要だったし、新作の絵も必要だったのだ。一見するとバランスの
悪い二つが実に上手く融合しているのは、時代がゼータを呼んだからだと思えてならない。時の涙は今も流れ続けているのだから・・・