怒り、苦しみ、破壊し、創造する!世界プロレス式コミュニケーションガイド研究所所長の体験談ブログ(184) 自分の問題と向き合うための10の闘い(84) 残された時間④
2018/01/24
偶然生きてしまった
「明日死ぬと思って生きろ、永遠に生きると思って学べ」とは、かのマホトバ・ガンジーの言葉だそうです。
私はこの言葉についてある意味その通りにしてきた自負と、ある意味勘違いして生きてきた反省点がそれぞれあります。その通りにしてきた自負とは、明日といわず、今日死ぬかもしれないと思って生きてきたからです。誠に皮肉な話ではありますが、「死にたい人間」だった私は、いつ人生が終わってもいいように、なるべく悔いを残さずに生きようとしてきました。
その結果、偶然ですけどガンジーが言ったような生き方を実践してしまっていたのです。
ガンジーが重点的に言いたかったのは「生きろ」という部分であって、多分「死ぬ」という部分には重きを置いていないと私は思うのですが、結果的に生きながらえたおかげで、必死になって生きてしまいましたし、生きたいとは思っていませんが、たくさんのことを学びました。
勘違いして生きてきた反省点とはこのことですね。
積極的に生きたいか?
私は、今もそれほど積極的に生きたいとは思っていませんし、明日死んでもそれほど悔いはないと思っています。まあ、死にたい人間はだいたい死にたい行動をとるもので、かつての私も例外なく、自殺ではないにしても、「死にたい行動」をしていたため、何回も「死にそうな目」にあいました。
そのたびに生きながらえた自分は本当に運がいいのか悪いのか、いまだによくわからないでいます。とりあえず永遠に生きたいとはこれっぽっちも思っていないので、くたばるその日まで好き勝手やってきてやろうとは思っています。
考えてみたらこのブログも当初はビジネス用としてスタートしたはずなのに、いつの間にか好き勝手に駄文を書き散らかすものに様変わりしてしまいました。途中からアクセス数もお金も稼ぐ気が失せて、働く気さえなくなってしまったので、それを皆さんも察知したのか?「面白いよ」といわれる割には、日に一桁のアクセスしかありませんし、もちろんビジネスとしても機能していません。
強いて目的を述べるならば、この記事を書いているのは私が世に残す遺言だとでも思ってください。それなりに言いたいことを形にしておくと後々ボケても困らないかもしれないですしね(笑)
そして誰もいなくなった
それにしても、あれだけ色んな講座を何周も何周も受けていたころの自分の姿は、今思い起こしても痛々しいですね。あの時間とお金があったらもう少し遊んでおけばよかったと真剣に後悔しています。
だからこそ、残った時間がどれだけあるのかはわからないのですが、自分ができるだけしたいこと、やりたいことにフィーチャーして、少しでもしたくないことは徹底的にやらないスタンスで行かないと、絶対悔いが残ると私は思っています。
結果、私の周りには誰もいなくなりました。いや、正確には私が望んで独りになったので、自由を手に入れた代わりに孤独にはなりました。無駄な人間関係にもわずらわされない代わりに、本当に必要な関係だけが残ったと思っています。
今回のテーマは「残された時間」と「闘う」はずだったのですが、だいぶん横道にそれてしまいましたね。まあたまにはこういう回もあっていいでしょう。
適度にざわざしているけれど、でもなんとなく一人ではない今の環境を私はとても気に入っています。たぶんこういう中でならそう大きな問題も発生せず、残された時間を日々楽しく生きていけそうな気がしています。