怒り、苦しみ、破壊し、創造する!世界プロレス式コミュニケーションガイド研究所所長の体験談ブログ(25)くたばれ!心理カウンセラー(5)
2018/05/10
反則切符を切られた時
このブログは基本自分が毒吐きたくて書いてます。毒は自分の中にためておくと、だんだん大きくなっていってある日、暴発します。今回も私の「毒吐き」にしばらくお付き合いいただこうかとも思います。
さて、この「くたばれ!」シリーズは「キライ」シリーズよりも私の中で怒りのランクがひとつ上の対象に向かって毒付く、いや毒突くために書くものです。ですにで「嫌い」シリーズよりももっと嫌いな、自分自身の根源的な問題を取り扱います。
私は、数年前取り締まりで反則切符を切られたことがあります。警官曰く脇見を3秒したら違反ということでした。また、携帯をいじったかどうかをしつこく聞かれました。確かに携帯のバイブが気になり手にはとりましたが、画面操作できる余裕などあるはずもなく、頑として否定しました。
まあ、結果は覆らなかった上に、以前事故して放置したボディの凹みまで警官にしつこく聞かれ、辟易としました。解決済みの事故までほじくり返されて気分が悪かったですね。これが理由の一つで後々車を変える羽目になってしまいました。
私自身の問題
もっとも今では、わき見即減点とこの時代より厳しいルールになりましたから、このケースだともう問答無用ということになります。実はこの2年後に再び取り締まりにひっかかり、しかも同じわき見で厳しい処罰を受けた体験があるからです。
この時は、数秒どころかほんの一瞬でしたが、携帯が鳴ったのでつい置いてある助手席の方をみたら、運悪く見つかってしまったというわけです。明らかに以前の時よりは内容も厳しくなってましたね。
さて、散々「自分の問題に関して向き合わないカウンセラーはくたばってしまえ」といってきた私ですが、この「違反取り締まりにひっかかる」というのも、実をいうと私自身の問題でした。
小倉に越してくる前は、片道一時間をかけて下関から小倉まで週六で通っていました。当然、心身ともに大きな負担になっていましたから、注意力も散漫になった結果、うっかりミスで違反切符をきられていたわけです。
この結論にいたるまでにはかなり長い時間を要しました。もうカウンセリングからは卒業してましたから、答えが出るまで自分と向き合い続けることになったわけです。なかなか出てこなかったので、しばらく放っておいたこともあります(そうしたら再びつかまってしまったわけですが)。
ところがその「答え」はひょんなところからふって湧いて出てきたのです。
長男の役割を必死で
もともと小倉で独り暮らしを始めるというのは、親の介護が本格化する前に、自分をケアする目的で、貯金を切り崩して仕事をセーブし、心身に負担をかけないことが目的でした。私には緑内障という不治の病があって、眼圧の数値があがりすぎると失明の危険性と隣り合わせでいきています。
従って、眼圧が上がりそうなストレスは極力排除するということになったわけです。もちろん「来るべき時」に備えて自分が先にダウンすることがないようにするという目的もあります。
それまでは近隣に住む唯一の肉親として、親の面倒をみる長男の役割を必死でこなしてきたわけです。それが結局、ケアマネージャーさんや地域包括センターとの連携で、自分を楽にする方向で、独立という結論にいたったわけですね。
一応、うちの両親には要介護認定が下りてますが、下の世話までするほど衰えてはいません。とはいえかなりボケていますので、様子見に実家に帰ることは必須でした、そうすると博多や広島とかに住んでしまうとすぐに帰ることは難しくなります。
幸い北九州には私なりのコミュニティーができあがっていましたし、週に一・二度くらいなら帰省しても心身の負担にはなりません。そういうわけで北九州移住に関してはそう抵抗はありませんでした。
万が一の時に備えて住民票を移さないことも、話し合いの中で自然に決まっていきました。困ったのは賃貸契約の時に保証人をつける、つけないで多少トラブったくらいであとは順調にいきましたし、保証人問題もケリがついたので、今では夢に見た独り暮らしを満喫しています。
独立して週1で下関に戻るだけという生活になってみてから、心身の負担はもとより、毎回通行することによって、車をむしばんでいたトンネルの排ガスからも解放されることになったわけです。そのうえ、トンネルの通行料やガソリン代というものでも、週六の時代に比べてもかなりの負担軽減になったのです。
別な問題がいつの間にか・・・
生活は実家にいた時からいたって質素でしたから、独立しても贅沢して遊び惚けているわけでもありません。ですから貯金を切り崩すといってもそれほど危機感もなかったのです。
幸い、物件もおそろしく安い場所がみつかって、しかも小倉とは思えない閑静な土地でしたから、本当にラッキーでしたね。実家にいたころには世話しているはずの両親が、わがままし放題でしたので、芯から気が休まることもなかったのです。あらゆる意味で解放されたというのは、自分にとってとても大きな方向転換になったわけです。
とはいえ車を運転している以上、違反切符を切られることは0にはならないでしょう。でも、負担が減ったことによって、普段の運転にも注意ができるようになりましたし、わき見する確率もかなり減りました。
もともとは親との距離をとるための独立でしたが、結果的には安全運転ができるようになったということで、自分自身の問題解決にも繋がっていったわけなのです。これは新しい発見でしたね。
カウンセリングでは受け続けていると、主題にした問題とは別な問題がいつの間にか解決していることがあります。交通違反の件もまさにそんな感じでした。親の介護という問題解決を図っているうちに、気が付いたら解決していたのですから。
もっともくどいようですが、違反切符をきられる確率は0になったわけではありません。また、北九州にきたからといって荒れた生活をしていたのではもとの黙阿弥になってしまいます。
結局は安全運転を心がけるには、まず自分の心身を整えて、常に自分自身と向き合い続けることが肝心なんですね。それを痛感させられたというのが、今回お話したかったことなのです。