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怒り、苦しみ、破壊し、創造する!世界プロレス式コミュニケーションガイド研究所所長の体験談ブログ(3)私がワンピースをキライな10の理由その3

2018/03/12

ジャンプの三原則を最も表した作品

このブログは基本自分が毒吐きたくて書いてます。毒は自分の中にためておくと、だんだん大きくなっていってある日、暴発します。今回も私の「毒吐き」にしばらくお付き合いいただこうかとも思います。

一時期母が入退院を繰り返していた時期がありました。本当は大事なはずなのに、当時の私は全然心が動きませんでした。これほど自分が冷徹だったのか?と仕事場に来るまでにいろいろ反省もしたりしてみたのですが、約10年前、母の買い物に付き合わされる前に車中で、昼飯を全部吐いてげーげーいって青い顔をしている私に容赦なく運転させ買い物に行かされたことなどを思い出すと、今度は逆に腹が立ってきて、同情する気にすらならなくなりました。

人の体調より買い物を優先させる母親です。一事が万事この調子なんで、信用以前の問題なんですけどね。やはり身近にいる人間が一番不信を抱かせるようなことをしていると他人への信頼というものも構築しにくいよなとは思ったものでした。

そんな私でさえ、普通に生活できるくらいのコミュニケーション能力とそこそこの世渡りを身に付けたのですから、今までの苦労は無駄ではなかったということになります。他人は今でも信頼してないのですが、ほどよい距離の人間関係は築けていると思っています。「仲間」というほどベタベタした感じはないと自分では思っていますね。

さて少年ジャンプでは全ての掲載作品のテーマに友情・努力・勝利という要素、あるいはこれに繋がるものを3つのうち最低1つ入れることを編集方針としているそうで、この原則は、同誌の前身ともいえる少年ブックから受け継いだものであり、もともとは小学校4年生・5年生を対象にしたアンケート(「一番心あたたまる言葉」「一番大切に思う言葉」「一番嬉しい言葉」)によって決められたものなんだそうです。

そして意外にもこの原則をもっとも表した作品ってキン肉マンなんだとか。確かにキン肉マンには三要素のすべてが入ってますが、私はあの作品を読んで不快な気分になったことは一度もないんですよね。なぜでしょうね。

ワンピースにある不快感とは?

キン肉マンには私が忌み嫌う感動の押し売りも嫌というほど出てくるし、確かにこれほどジャンプを体現している作品というのもそうはないといっていいでしょう。でもワンピースにあってキン肉マンにはない不快感とはいったいなんなんでしょうか?

ワンピースのピースはひとかけらという意味の「PIECE」なので「ひとつなぎの大秘宝」と呼ばれているらしいですね。確かにひとかけらがひとつなぎになり、それがやがて大秘宝になるというのは、一見するとロマンです。

しかし、じゃあそのひとかけらはひとつなぎにならないと大秘宝にはならないのか?ひとつのピースが欠けても大秘宝にはならないのですから、そのひとつひとつが大事なのはわかります。でもそのひとつひとつのパーツは宝物を登場させるための駒なんでしょうか?コマという言い方がわかりにくければ、こう考えてみましょう。

ひとつのパズルがあるとします。

枠の中にひとつひとつの形が違うピースを当てはめていき、うまくすべてのピースが所定の位置に収まると、一枚の絵が完成します。しかし、パズルですからすべてのピースを勝手気ままに並べたのでは絵は完成しません。あくまで所定の位置にきちんとはまることが大前提になっています。

これはパズルのピースだから、それほど不快な感じはしません。しかしこれが人間だったらどうでしょう?

ワンピースの不自由なイメージ

よく世の中の、会社の歯車という言い方があります。長い休みから復帰して会社に戻ったときに、それまでと変わらず会社が回っていることに対し、自分は価値を発揮しているつもりでいたのに、休んだことによる影響力はきわめて弱く、替えもいくらでもいる状態に愕然としたときに「自分は会社の歯車でしかなかったんだ」と気づくことになった・・・・という話はよく聞くと思います。つまりその組織において自分の替えがいくらでもいたことの喪失感と、かけがえのない存在だったはずの自分の立ち位置が崩壊するような体験だと思います。

ワンピースではそれぞれが勝手な目的をもって勝手にひとつの船にのって勝手に自分の夢を果たすために冒険にでています。しかしそれが結局財宝を出現させるためにしていることだったとしたらどうでしょう。パズルのピースのように一つ一つがコマであり、物語の都合上、歯車のひとつにしかならないのだとしたら、それでも夢をみていられるでしょうか?もちろんフィクションという性格上、すべての人間の視点から物語を作ることは不可能でしょう。

でも私はワンピースのピースからはなんかそういう不自由なイメージしか抱けないんですよね。これは私の価値観が歪んでいたからだといわれればそれまでかもしれません。型にはまっていないようで、実は型にはまっていく不愉快さというか。そこに友情・努力・勝利を当てはめると嫌な感じしかしないんです。

自分は型にはめられることが好きではありません。もともと型にはめられるように教育され続けてきたせいもあります。長男であれ、しっかりしろ、家を継げ、なんでも自分で出来るようになれ、などなど。親の教えに逆らえなくて、逆らいきれませんでした。結果を残せない自分を責めて寝たきりにもなりました。その時点では死ぬことさえできなかったのです。

魅力を欠片も感じられない

ワンピースの主人公・ルフィは自らを海賊王になると宣言しています。これは一見するとロマンチックな夢物語にみえるかもしれません。しかし海賊王を名乗るというならまだしも、偉大な海賊の名を借りたいわば襲名したいという願いにも聞こえます。そこには海賊王という絵を完成させるために自分をパズルのピースにしようとしているルフィの姿しか私には想像できないのです。

それが果たして本当に幸せなことなんでしょうか?正直大言壮語で、我こそが海賊王だ!と名乗るのであれば、最初はホラでも最後には現実になってすっげえ!という話になったかもしれません。多分主人公ですから、そういうほら吹き的な意味合いで、海賊王というフレーズはインパクトもあるし、主人公が口にするに値する文言ではないかと私は想像しています。

でも、結局大海賊ロジャーは世襲制でなれるものでもないし、二代目を名乗ったところで印象はぐっと弱くなります。ルパン三世くらい突き抜けたら三代目もありでしょうけど、ルフィにはルパンのような魅力を欠片も感じられません。また、キン肉マンはパズルのピースではありません。しかも暑苦しいくらい感動もできます。あちらの友情、努力、勝利にはとても共感がもてます。しかし、ワンピースのそれには共感より悪寒しか感じません。ここがワンピースを私の中で「受け入れがたい」と思っている大きな要因の一つなんだと思うのです。

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