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[映画鑑賞記] スイート・ノーベンバー

16年11月8日鑑賞。

エリート広告マンのネルソンは、昼夜を問わず仕事に明け暮れる孤独な男性。そんなある日、彼は自動車免許更新の為に訪れた運転試験場で、サラと名乗る美しい女性と出会う。答えを教えてくれといって試験官に間違われ、彼女は30日後に再試験となる。彼の家に押し掛け、1ヶ月車に乗せろと要求。「11月中の一ヶ月間、自分の恋人になっていい」という驚きの提案を持ちかける。しかもそれには「期間中は一緒に住むこと」「期間中は一切仕事をしてはいけないこと」という条件がついていた。このサラの勝手な提案に、当初ネルソンは憤慨するのだが、ホットドッグの宣伝に失敗してキレ、クビになる。親に会ってくれないと嘆いていた恋人が去って行き、彼女の事が気になり、まもなく承諾する。こうして恋人同士になった二人は、次第に惹かれあっていく…

1968年のアメリカ映画スウィート・ノベンバーをリメイクした作品。その年のゴールデンラズベリー賞の、「最低リメイク及び続編賞」「最低男優賞(キアヌ・リーブス)」「最低女優賞(シャーリーズ・セロン)」にノミネートされた。(あらすじはwikipediaより)

ということで賛否がかなり真っ二つに分かれている本作だが、個人的にはまあわからないではないかな、と。リメイクがダメならオリジナルはどうだったんだろう?

私は多分最初の奔放なサラの姿が印象に残りすぎると、後半のサラが末期患者にはみえない点はちょっとどうかな?とは思った。他の評価で頷けたのは、サラのラストと、せっかく主題歌のひとつに起用したエンヤの「オンリー・タイム」をラストに持ってこなかったあたりかな?

前でわからないではない、と書いたのは、私自身が現役の闘病生活者だからこそ、理解できる部分もあるからである。確かに美しい終わりを思い描いて、その通りに生きていきたいと考えるのは悪くないと思う。

しかし、男側から考えるとサラがやっぱどんだけ可愛くても地雷臭しかしないから、私は近寄りたくないタイプの女性かなあ。思い出のまま美しく死にたいというのは、悪いいい方をすれば独りよがりにみえる。サラが映画前半でネルソンを変えようとしていなければ、まだそうは思えなかったかもしれない。しかし、サラといる時間の大切さに気づいたネルソンに対して、ラストでお伽話のお姫様のような幕引きを選んだサラの決断は、どうしても支持し難い。ネルソンの気持ちを知りながら、ネルソンの思い出の中で生きるというサラの決断は、結局自分のやりたいように勝手に幕引きを図ったことになりはしないか?彼女の行動にはやはり納得がいかない。

いずれ来るであろうサラの人生の本当のラストで彼女はネルソンのもとを去ったことを後悔せずにあの世にいけるとはちょっと私には想像し難かったし、最期を看取れないまま別れを受け入れたネルソンももしかすると後悔しているかもしれない。またネルソンだって、反動で仕事人間に戻っていくかもいれない。サラを失った喪失感で今まで以上に仕事に打ち込んでいったとしたら、これもまた悲しい話である。彼女と出会う前のネルソンと同じというわけではないと思うけど。

そう考えていくと、この映画のラストは綺麗に幕引きを図った分、サラもネルソンもlose-loseで終わったような気がしてならない。スイートどころかヘビービターなラストにはモヤモヤしたものしか感じられなかった。なるほど確かに評価の割れる映画ではあるなあ、という感じはした。

もしかしたら、ラストでエンヤの「オンリー・タイム」が流れていたら雰囲気的に私も流されてモヤモヤがどっかいってしまったかもしれない。しかし結果的には綺麗に終わらそうとして妙な引っかかりを残した映画になってしまった。こういう悲恋ものは万人を納得させられるものはなかなかないとは思うけど、やっぱサラが、ネルソンが本当はどうしたかったのか?が気になりすぎて仕方ない。私にとっては後味の悪い映画だった。

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