追憶のscreen 録画機器のなかった時代の怨恨
カラーテレビを独占されても白黒テレビがあるいちはまだよかった。その頼みのカラーテレビが壊れてからが本当の地獄だった。みたい番組が見られない苦悩というのは、子ども時代には怨念に近い形で、大人さえいなければテレビが見られるのに!と本気で両親を恨んでいた。
ただでさえ、テレビを見すぎたらよくないと視聴制限までされていたのに、この上見たい番組が見られないのは地獄に等しかった。
力でも経済でも勝てない無力さは、自分がそこにいてはいけないという感覚をますます強くしていった。今でも恨んでいるのは、NHKがはじめたアニメ枠を見せてもらえなかったことである。
ご存じ宮崎駿初監督作になる「未来少年コナン」が放送開始したのは、1978年4月4日の19時半。この火曜の19時半というのが曲者で、裏番組に「それは秘密です」というバラエティ番組が放送されていた。
視聴者の秘密さんが登場するコーナーが番組最後にあり、主に戦争時のごたごたで生き別れになった人たちが、再会する場面では司会の桂小金治や解答者も感極まって涙が溢れる場面が多々見られたわけで、これだけはどうしても両親が譲ってくれなかったのだ。
たぶん両親的には他で譲っているんだから、これだけは見せろということだったんだろう。
しかし私にとっては見ず知らずの方の生き別れには全く興味がなくて、むしろこの番組があるおかげで、コナンが見られない絶望感の方が強かった。
未来少年コナンに関しては幾多の再放送でみることができたものの、「それは秘密です」が長寿番組化したおかげで、他の初期のNHKアニメはほとんど見られなかった。
この憎しみに近い感覚がたぶん人の悲しみに寄り添えない原点のような気がしてならない。つられて泣くとかいう体験をした覚えがないからだ。
録画機器やオンデマンドのある現代ではありえない諍いだが、チャンネル争いという言葉がまだバリバリ現役だったころのお話である。
ちなみに、今や地デジ化し、多チャンネル時代になってしまうと、今度はほぼテレビを見なくなってしまうのだから、つくづく世の中うまくいかないものである。