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[映画×コミュニケーション] 映画鑑賞記・MEMORIES

06年4月22日鑑賞。

MEMORIES」は3話構成 のオムニバス。1話「彼女の想い出」森本晃司、2話「最臭兵器」岡村天斉、3話「大砲の町」大友克洋各監督作で、総監督に大友さん自らが就かれた95年作。これも10年前か...
個人的は2話がお気に入り。 いわゆるくだらない、あり得ないことを徹底的に理詰めで描いていくSFの極地。ここまでやるかという破壊の極地に、浮世離れした主人公の鈍さが秀逸。実にバランスがいい。
 1話はいわゆる 「想い出否定型」の懐かしもの。想い出の中に生きることを良しとしない、なら現実は?という問いかけが残酷で出色!森本晃司さんの作画は大友キャラをやや艶ッぽくした感じで往年のオペラスターをより綺麗に描いていた。
 2話はむしろかつての大友 作画に忠実に作っていった感じ。そして3話は、キャラ自ら大友さんの立案で、「現在の」大友さんの絵がそのまま動くというある意味物凄いもの。ただし、宮崎監督でもそうなのだが、基本的にプレイヤーとして優秀な人は得てして描きたい絵から先にはいってストーリーが後付になるきらいがある。それはそれでいいのだが、あまりにもイメージが膨らみすぎると、たぐいまれな才能を持ってしても処理しきれなくなっているのではないか?と勘ぐりたくなるときがある。
 結局ストーリー後付なので、 話しの進み方に無理があったり、つじつまが合わなくなっていたり
という弊害が見受けられるから である。若い頃は勢いで有り余るアイディアを出しまくり、それをまとめる役目の人がいて、その中で存分に才能を発揮してきたが、自分が監督になってしまうと、自分で自分のアイディアを紡いで行かなくてはならない。
 しかし、他人がいじるわけでは ないから、納得がいくまでに時間ばかりかかって、折り合いを付けた辺りで上手くいっていればまだいいのだけれど、自らの処理能力を超えてしまっていると、破綻を起こしてしまっているのではなかろうかと、想像されるのである。
 たまたま破綻を起こさなかった コナンやカリオストロで名監督の地位を手にしてしまったことが、プレイヤー宮崎駿の評価を影に押しとどめてしまっているとしたら、これほど残念な事はない。
 然るに、この絵先行の弊害が、 「ロボットカーニバル」にせよ、この大砲の町にせよ、大友監督の作にだけみられるのは返す返すも残念。勿論絵描き出身で、プレイヤーとしての自分を冷静に見つめ返せる人もいるのだが、有り余る才能を持て余してしまうと、それは逆に不幸になるのだ。猪木さんの様に、プレイヤーとしての才能の傑出ぶりと、プロデューサー、監督としての才能の落差がはっきりしているとまだ救いがあるのだけれど、なまじ折り合いを付けた辺りで既に、凡百には遠く及ばないレベルの作品に仕上げてしまっている場合は、本当に厄介なものである。

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