[追憶のscreen](6)冬の募金道その2
私が街頭募金活動をしていた商業施設には映画館もあって、玄関先にはでかいポスターが掲げられていた。
それは劇場版「ルパン三世」。後に「マモーとの対決」と副題がつけられた劇場版第一作である。
当時ルパン、それも特にファーストルパン(旧ルパン)と原作ルパンに啓蒙されていた私にとっては、お子さま向けではないルパンはどうしても見たい憧れの対象だった。
たまたまとはいえ、最初に出会ったのが原作というのは大きかった。また当時山田康雄さんがご自身の連載記事中で、ルパンとの出会いを語られていて、それに我が意を得たのも大きかった。
最初にオファーがあった当時はまだアニメ.漫画といえば子供の見るものという時代。当初難色を示していた山田さんに役作りの為原作が手渡された。それでも乗り気ではない山田さんがパラパラと見ていくと、あっという間にはまったというのである。
洒落た雰囲気、一筋縄ではいかないストーリー、個性的なキャラ。あっという間に夢中になった山田さんはそれから毎週連載雑誌に目を通すようになったそうである。
勿論ルパン役には二つ返事でOKを出したことはいうまでもない。
演じられた方がこうなのだから、当時私如きが受けた衝撃がどれだけのものだったか、本当に表現のしようがない。
だが、残念ながら部活をさぼってまで映画を見にはいかれない。だいたい募金活動を映画館が入っている建物の前でやるとあっては目を盗んでいくこともできない。
塾との兼ね合いだってある。冬休みなんてあっと言う間。私に残された時間なんかなかった。
「なんでこんなことしなきゃなんないのかなあ」自分で選んだ道とはいえ、後悔しっぱなしだった。
親切に募金に応じてくれる大人達に対しても上辺では礼をいいつつ、上の空だった。
結局映画には行くことはできなかった。
募金活動が終わると、部員と一緒に集まってお金を新聞社に持っていった。当時助け合いの募金は各新聞社が受付てくれていたみたいである。
その時にお礼を言われてはじめてやってよかったなあとは思った。そうでもしないと自分に納得がいかなかったからだ。
ちなみにこの時映画に行かれなかった後悔はのちのち一生ものになってしまったのである。50過ぎた今でもルパン映画をスクリーンで見たのは、「くたばれノストラダムス」以降。つまり山田康雄さんご存命の折には映画館で鑑賞できなかったからだ。
自分のやりたいことを押さえつけ、やりたくないことにあわせたばかりにおこった悲劇だった。