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映画鑑賞記・勝手にしやがれ

勝手にしやがれ
 10年8月3日鑑賞。

 ちょっとこれ見ていたときが忙しくて、なんとか短いヤツでしのごうと見たのがこれ。

たまたま放送していたのを録っておいたのだ。
で、ヌーヴェルバーグもろくに知らない(後で
調べたけど)で見たもんだから、なんか整合性があるようでない、それでいてわりかし単純な
筋立てと、節操があるんだかないんだか、
全くわかんないというか理解不能なヒロイン
(なんか「サガンっぽい」なと思っていたら、
映画「悲しみよ、こんにちは」にでていた
人らしい)の行動と発言はなんか「ざらっと
した」リアル感を与えてくれた。

 あと、気になったのは、要所要所でなんか
印象的な言葉がふっとでてきて(いちいち
拾わないけど)気がついたら画面を見て
いた...そんな感じの全体的な雰囲気かな。

なんか人を引きつけるモノはあるんですよ。
正直ヨーロッパの退廃のにおいというのは
好きなモノもあるけど、恋愛モノに関しては
ちょっと苦手。「変態村」まで行ってしまうと
あの世界観を受け入れるには10回くらい生まれ
変わらないと無理だが、公開当時の観客達は
そんな衝撃をもってこの作品を迎え入れた
のかもしれない....だいぶんちがうか^^

まああくまでも「理解しがたい」という事の
たとえとして出しただけなんで、「変態村」と
本作の因果性は全くないとだけはいって
おかないと誤解されてはこまる^^

 「悲しみよ、こんにちは」も読んだけど、
10代であれを理解する事は....ちょっと
出来なかった。もう手放したんで今読み返すと
ちがう感想を持ったかもしれないけど。

でもこの「苦手意識」は間違いなくサガンのせいだ^^

 それだけは間違いない。
ただ、これを白黒映画...1959年に
やったということに関して言えば当時リアル
タイムで見ていたら腰ぬかしたであろうこと
は間違いあるまい。それだけ衝撃的なのだ。
今風といえば今風なのだが、それが1959年
に作られていたという事実の方が衝撃的だった。

「大人は判ってくれない」のフランソワ・
トリュフォーのオリジナル・シナリオを映画評論家出身のジャン・リュック・ゴダールが監督し、「いとこ同志」のクロード・シャブロルが監修した。出演は「悲しみよこんにちは」の
ジーン・セバーグ、「危険な曲り角」の
ジャン・ポール・ベルモンド

 ミシェル(ジャン・ポール・ベルモンド)は
自動車泥棒の常習犯。今日もマルセイユ
かっぱらった車を飛ばしパリに向かっていた。
ところが途中で追いかけられた白バイの警官
を射殺してしまった。そのままパリに戻った
ミシェルは、顔見知りの女から金を盗んで
街に出る。旅行案内所のアントニオの所へ
約束の金を取りに行くためだ。が、渡されたのは小切手だった。現金はベリユッティという男が代えてくれるという。その一方で殺人犯として刑事が彼を尾行しはじめた。そこを何とか
うまくまいた彼はパトリシア(ジーン・セバーグ)の許へ行く。彼女はヘラルド・トリビューンの新聞売子でアメリカ娘の留学生だった。
二人は南仏の海岸で偶然知り合い、他人同士の関係ではなくなっていた。パトリシアは彼の誘いを断って、街にデートに出かける。ふてくされた彼は彼女のアパートに泊り込むのだが、翌朝、パトリシアはミシェルと部屋でしばしの時を過舌後に、彼女は飛行場へインタビューへ、彼は街で盗んだ車をポンコツ屋に持って行くことになった。

しかし素性がばれて、ミシェルはそこの親爺を
なぐって逃げ出してしまう。社に戻ったパトリシアのところに刑事がやって来て、彼の居所を知らせろと迫った。尾行をまいたパトリシアは、ミシェルと二人でモンマルトルへ逃避行する。

そして、ようやく酒場でベリユッテイをみつける事が出来た。目当ての金は明日出来るという。

その晩、二人はベリユッティの友達のところに
泊る。ミシェルは金が出来たら外国に行こうと
いう。彼女はうなずいた。

しかし、翌朝彼女の気持ちは一転して変わって
いた。彼女の一番欲しいものは自由だったからだ。

新聞を買いにいったその足で、パトリシアは警察に彼を密告する電話をかける。そうとは知らずに旅仕度をしているミシェルに「あと十分で警察が来るわよ」と言い放つパトリシア。

だが、彼の心にはむなしい自嘲と絶望がひろ
がっただけだった...。彼に金を持って来た
ベリユッティはミシェルに逃亡をすすめる。
しかし彼は既に「疲れ果てて」いた...

うーん、一言で言えば女の心変わりほど怖い
モノはないと言うところかな。でもそれが純粋であるという視点で見ないと、理解不能で終わっちゃうんだろうなあ...確かにミシェル
の、男の純情?を踏みにじるような、外道とも
言える発言の数々には身につまされる思いも
あった。実体験でイヤと言うほど心変わりも、
発言がくるくる変わる仕打ちも、優しげに
よってきては袖にされ続けた男としては、
ミシェルには到底肩入れしがたいと思わず
にはいられなかった。

 だが、結局女性は自由なのよ。
男は縛られる生き物なのよ。だから、男の方が
自由なようで実はとても窮屈な存在だという事
をこの監督はいいたかったのかな。だとしたら、そのもくろみは成功していると思う。

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