[映画鑑賞記] スターウォーズ・スカイウォーカーの夜明け
2019年12月30日鑑賞。
はるか彼方の銀河系で繰り広げられる、スカイウォーカー家を中心とした壮大な<サーガ>の結末は、“光と闇”のフォースをめぐる最後の決戦に託された──祖父ダース・ベイダーの遺志を受け継いだカイロ・レン。伝説のジェダイ、ルーク・スカイウォーカーの想いを引き継ぎ、フォースの力を覚醒させたレイ。そして、R2-D2、C-3PO、BB-8 ら忠実なドロイドと共に銀河の自由を求めて戦い続ける、生きる英雄レイア将軍、天才パイロットのポー、元ストームトルーパーのフィンら、レジスタンスの同志たち...。さらに、ハン・ソロの永遠の好敵手ランド・カルリジアンもエピソード・シリーズでは『スター・ウォーズ エピソード 6/ジェダイの帰還』以来の再登場。果たして、彼らを待ち受ける運命とは?そして、いかなるエンディングを迎えるのか?(あらすじはfilmarks映画より)
手のつけられない怪物
12月の宿題映画のトリはスターウォーズ。今回のスケジュールは上映時間と前後の予定を考慮して決めたので、スターウォーズがラストになったのは単なる偶然でしかない。
さて、エピソード7と8のグダグダっぷりを見てきた側としては、果たしてエピソード9で綺麗にまとまるのか?という不安はあった。
酷評だった8はまだしも、エピソード7は、ほかならぬエピソード9の監督であるJ・J・エイブラムスである。不安がある分、ある程度コケる覚悟で観に行けたのは幸いだった。だって期待?はいい意味で裏切られたからだ。
多くのスターウォーズファンによる8の酷評をほぼ全て読んだかのごとく、最大公約数的に物語をまとめてみせた事で、エイブラハムは面目を保ってみせた。
とにかくこのディズニー3部作のシメとしては、これ以上の物は考えられないだろう。
ともあれ、今となっては、スターウォーズはもう創造主たるルーカスですら手のつけられない怪物に育ってしまった。そこにディズニーの意向も来て、かつ全世界のスターウォーズファンの厳しい視線があっては、誰が監督になろうと、難題であることには変わらない。
とにかくできるだけ多数のファンに受け入れられる作品としては、これ以上ない。8からの巻き直しというハンデを考えれば、文句のつけようがないと言っていい。
ルーカスが語りたかったことは
ただ、ルーカスが1〜6で語りたかったであろうことは、描かれなかったのではないだろうか?
フォースにバランスをもたらすというのは、光が闇かではなく、愛をありのまま受け入れ、愛を尽くすことだったはず?アナキンはそれを実現したからこそ、フォースにバランスをもたらす者だったのではないか?
ベンがスカイウォーカー家の血筋として、今回その役を担ったと思うが、やや物足りなかった。
ハンとレイアの愛、それを受け入れ、最後レイに命を捧げるという形でフォースにバランスをもたらしたと思うが、やっぱりアナキンの描かれ方と比べると薄かったのは否めない。
アナキンは父がいない状況で、母子家庭の奴隷として育った。そして、ジェダイの中では、未来が曇っているというだけで、ネガティブな評価をずっと下され続けた。その中で唯一自分を受け入れてくれた母は殺されてしまった。
その反動でより深く愛した愛したパドメとは許されぬ仲であり、どうしても守りたい気持ちが暴走して、結局救えなかった。
表題通りの「夜明け」
その愛ゆえにダークサイドに落ち、しかしパドメへの愛と、息子への愛でライトサイドに帰還することで、フォースにバランスをもたらした。アナキンは、愛はダークサイドに繋がるから許されないというジェダイの掟は間違っていたことを、人生をもって示した。
アナキンほど愛情に満ちたフォースの使い手はいない。翻ってベンからはアナキンのような愛への渇望、絶望、希望は感じられない。
レイは愛とは違う世界にいる。最後の最後にベンのことを愛していたことは描かれるし、7と8では自分が何者なのかに不安を感じていたこと、9ではパルパティーンの血筋だと知った時の不安を感じたことは描かれるが、それ以上の内心の描写はない。
不安と闘うヒロインではあるが、アナキンのように愛に生きた主人公ではない。主人公2人の愛についての描かれ方が、1〜6と比して圧倒的に薄っぺらくなってしまった。
しかしながら、スターウォーズは今や何をやっても批判される、誰にもコントロールできないバケモノコンテンツである。7〜9を通してみたとき、とにかく9はしっかりと物語をまとめていた。
しっかりと風呂敷を畳んだ。感動も与えてくれた。バケモノコンテンツをここまでうまくまとめ上げたのは、本当に大きな功績だと思う。まさに表題通り「スカイウォーカーの夜明け」にふさわしい映画だった。