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[アニメ感想] 2018年夏アニメ完走分感想文 ハッピーシュガーライフ

2018/10/18

誰も愛したことがなかった少女・松坂さとう。
そんなさとうが初めて愛した少女・神戸しお。

寄り添う二人の少女、甘く幸せな生活。

それを脅かすものを――松坂さとうは許さない。
愛のためなら脅迫も監禁も殺人さえも。

甘くて痛い、真実の純愛サイコホラー。

(あらすじは公式HPより)

人は「純粋」に憧れている

最初は百合に見せかけたサイコホラーを期待して見始めた作品だが、基本話が進むに連れて、それはあくまで演出であり、意図するところは別にあるような気がしてきた。

とはいえ、基本闇落ちした人しか出てこない作品なんで、わたしの気分が落ちている時には見られないという難儀さもあり、なかなか視聴が進まなかった。

そもそも天使であるはずの「しおちゃん」を筆頭に誰一人としてまともな登場人物が出てこないお話なんだが、声優さんの力演も相まって、一度みたらグイグイ引き摺り込まれていく。

回が進んでいくと、私自身が登場人物たちに非常に共感するようになっていった。まあ、犯罪に手を染めるかそうでないか、あるいは言葉にして語るか語らないか、公にするかしないかの違いはあれど、人は「純粋」に憧れている部分があるのは確かだと私は思う。

その「純粋」になる対象がしおちゃんであり、しおちゃんの登場で「愛」を知ることになる、松坂さとうでもある。彼女の愛はひたすら純粋であり、純粋であるがゆえにどこまでも残酷になれる。純粋も突き詰めれば、サイコにみえるわけで、それは見え方の問題に過ぎないのだ。

純粋な愛が報われない現実

しおちゃんと一緒に過ごす時間を、愛を守るためにさとうは彼女に可能なあらゆる方法をとるが、それらは法律も倫理も完全に無視していいく。純粋というのは当人にとっては大変美しくても、はたからみたらそうではないということなのだ。

もちろん私にも純粋に対する憧れはあるわけで、そこが「こいつら、頭おかしい」と「ハッピーシュガーライフ」の登場人物たちを一刀両断できない大きな理由の一つになっているのは間違いない。

話はやや横道にそれるが、昔梶原一騎さんという漫画原作者がいて、作品では、バイオレンスな作風の中に純粋さを必ず描いていた。有名な巨人の星では主人公飛雄馬が最後に投手生命を絶たれる魔球を編み出してまでライバルと闘おうとするし、あしたのジョーではボクシングで「真っ白に燃え尽きで」しまう。

そんな中で「愛と誠」という作品ではヒロイン・早乙女愛に対して、インテリメガネの岩清水くん(のちにいろんな作品でパロディ化された)の名ゼリフに「僕は君のために死ねる」というのがあるけど、そこまで彼に言わせた早乙女愛は、決して岩清水くんに惚れることはない。子どもながらに「純粋な愛が報われない現実」をまざまざと思い知らされたのを思い出す。

「純粋に」悲惨な目にあう

残念ながら、「ハッピーシュガーライフ」における、さとう以外の登場人物は、岩清水くんに相当するわけで、しおちゃんへの想いを一方的にこじらせる太陽くんも。さとうへキラキラしたあこがれを抱く飛騨しょうこも例外なく「純粋に」悲惨な目にあうわけだ。

そして、しおちゃんの愛を勝ちとったはずのさとうもまた悲劇的な結末を迎えてしまう。それが自業自得なのはいうまでもないのだが、それだけでは片付けられない後味の悪さがこの作品の持ち味でもある。

作中でさとうがしきりに口にする「にがい」というやつである。だが果たして最後までさとうは「苦い」ままだったのかというと、それは違うような気がする。

最後の最後で、ふたりが自らの意思で物語に幕を下ろす決断をする。そして彼女たちはキラキラした物を詰め込んだ瓶に蓋をした。それによって彼女たちの愛は永遠になったとも見て取れるのだ。

だから最後に残るのは愛だけ。これは純愛作品と呼んでいいだろう。とっても苦い、でも2人には甘い純粋。これは愛の物語なのだ。

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