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[アニメソング] アニメ的音楽徒然草 ターンAターン

2018/05/18

 ∀ガンダムだけ・・・

今回は「機動戦士∀ガンダム」初代オープニング主題歌「ターンAターン」をご紹介します。個人的に90年代ガンダムは、病床でみていたイメージがあります。二度離職させられ、そのたびに空いた時間を埋めるように、作品をみていたからです。1度目の時は、幸いVガンダムで打ちのめされ、Gガンダムで勢いもらって、Wで復活できました(もちろんXもみてますが…笑)

さて、99年に登場した∀ガンダム(ターンエーガンダム)は、私がコンビニ責任者時代に最も激務だったころに放送されていました。ですので、当然リアルタイムではみられなくて、2度目の闘病生活中に拝見した作品です。といっても、テレビ版の∀ガンダムは録画失敗したりして完全にはそろっていなかったので、結局、いろいろ不評な劇場版をみて過ごしたといういわく因縁があります。

この時期に見逃したSEEDですら後年完全にみたのに、∀ガンダムだけは未だに完全な形で視聴していません。リアルタイムでファーストガンダムの洗礼を受けた世代の一人としては、いかなるガンダムであろうと完全に網羅していることこそ義務だと思っていたので、∀ガンダムの存在は、自分の気持ちの中では大きな「棘」になっていたのです。

皮肉なことに主題歌も網羅しているはずのガンダムシリーズも∀ガンダムだけは主題歌を含めてそろっていませんでした。皮肉なものですが、iTunesですら探そうとしてなかったですからね。よもや、西城秀樹さんの訃報に接して、はじめて購入することになるとは思いもしませんでした。検索したらあまりにあっけなく出てきて、速攻でダウンロードしたのですが、なぜ今の今まで購入を躊躇していたのか自分でもよくわからないのです。

西城秀樹さんといえば、ドラマ「寺内貫太郎一家」で父親役の小林亜星さんとの壮絶な親子喧嘩が印象に残っています。私は子どもの時代から視聴番組がかなり偏っていたにも関わらず、このドラマとかは普通にみてましたからね。それくらい当時はテレビには魅力もあったし、面白い時代だったのです。

 ∀ガンダムと西城秀樹さん

小林亜星さんはいうまでもなく本業は音楽家でありますが、実をいうと「息子」の西城秀樹さんと初めてタッグを組んだのが、このターンAターンだったといいます。意外にも昭和が終わってずいぶん経ってから、ガンダムが両者の縁を取り持ったというのもなんともいえないものがあります。

ウィキペディアによると「ターンAターン」は

ガンダムシリーズのオープニング主題歌の中で、放送期間が2クールを超えたものは初代ガンダムのOPを除いて現段階ではこの曲が最後である。

西城秀樹の起用は小林亜星の指名による。小林が本作を作成している時にふたりは「寺内貫太郎一家」の舞台で共演しており、また西城はちょうどBMG JAPANからポリドール・レコードへの移籍の狭間で契約が切れている期間だったため、キングレコードから発売することができた。また、西城はレコーディングにあたり、かつて『機動戦士Ζガンダム』の主題歌を歌っていた森口博子に問い合わせを行っている。

「寺内貫太郎一家」舞台公演のスケジュールとの兼ね合いで、番組オンエアの2週間前に音源があがるという強行スケジュールだったが、富野総監督は詞をもとに大まかなあたりをつけ、先にOP映像の絵コンテを完成させるという荒技を行った(通常は音源にタイミングを合わせ構成を立てる)。

富野総監督は「ターンAターン」を非常に気に入っていたが、売り上げが良くなかったため後期OPを作ることとなった。ただしカラオケでは結構歌われている。

とあります。

 独特すぎる未来志向

一度聞けばわかりますが、ターンAターンはいわゆる西城秀樹さんの王道路線とは明らかに一線を画しています。あまりに独特すぎて確かに受け入れがたかったのは理解できますし、売り上げが芳しくなかったというのもまあ仕方ないかなというところがあります。2018年に放送された全ガンダム投票におけるガンダムソングスの中で、∀ガンダム関連の曲がベスト40位内に入ったのは、「月の繭」(19位)だけという結果になっていますしね。

しかし、王道とは異なっていても、聞けば確かに西城秀樹さんの歌でしたし、同時にガンダムソングとしても全く違和感がないのです。wikepediaの引用でもあるように、秀樹さんは担当する作品を徹底的に研究し、言葉の一言一言を理解して、レコーディングに臨んでいたそうです。冨野監督とのやり取りの中で、富野監督が西城さんに向かって説明する中で、西城秀樹さんに「正直すぎんですよ。善きことをいおうとしすぎて、相手かまわずぶつかっちゃうんでしょ?もう少し、人を信じなさいよ」って言われたエピソードすらあるほどです。

しかし、事前にしっかり作品についてリサーチしていた事を知って「さすがスターは違う!」と、当の冨野監督が大絶賛したくらい徹底したものだったそうです。

実際、∀ガンダムはシド・ミードがデザインした独特なデザインのおかげもあって?プラモの販売実績もさっぱりで、劇中で総監督自身が「不細工」と呼ばせているほどです。実際当時∀ガンダムは正式な名前ではなく「髭ガンダム」などと揶揄されることも少なくなかったでのです。

この「何もかもが独特すぎる」∀ガンダムは、いまだにファンの間で賛否が分かれている作品になっています。それまでは絶望志向の強かった冨野監督の作風が「未来ある子どもたちのために明るい作品を残さなくてはならない」という方向に転換し始めた時代の一作でしたからね。

 駄作認定されていない

もともと一緒に仕事をしていた高畑勲監督や宮崎駿監督が、アルプスの少女ハイジをはじめ、子どもたちに見せられる作品群を世に残しteiているのは周知の事実です。それに激しく嫉妬した冨野さんは「絶望」をもって、巨人たちに立ち向かおうとしていました。機動戦士ガンダムもそのひとつだったのです。しかし、嫉妬する一方では高畑・宮崎コンビへの憧憬も隠そうとはしていませんでした。

「いつか自分も名作劇場のような作品を作りたい」・・・冨野監督がいくらそう思っても、周囲が依頼してくる仕事は、過去作のような「黒冨野」風の作品か、「ガンダム」しかなく・・・・。

そのジレンマも∀ガンダムからは感じられます。それでも自分が作り出したものに精一杯あがいた結果だったからか、冨野監督は∀ガンダムに関しては自身お得意の「駄作認定」をしていません。

おそらく、監督の未来志向と西城秀樹さんの持つ陽のイメージは、∀ガンダムを仲介してフィットしていたのではないか?と私は思っています。だからこそ、西城さんが亡くなった今、巡りくる切なさと悲しさを振り払うかのように・・・私はこの文章を書きながら、ターンAターンを聞き返しています。

確かに西城秀樹さんという不出生の歌手の中でも、また機動戦士ガンダムという大看板の中でも、∀ガンダムは異端だったかもしれません。でも、この一期一会の出会いはきっと意味があったのだ、と私は思いたいのです。もしかすると秀樹さんの一言から、人を信じていなかった?冨野監督の作風になんらかの変化が起こっていたのかもしれないのですから、これはすごいことですよね。

要はもう一度、テレビシリーズの∀ガンダムをきちんとした形で見直してみたいなあという思いが私の中には今でもあるんですよね。この想いだけはいつか成就させようと思っています。

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