回転!揺りイス固め.NEO

アニメ好きが高じて色んな感想を書いている老害オタクのブログ

*

[アニメ感想] 2018年冬アニメ完走分感想文 DEVILMAN crybaby

2018/03/14

泣き虫の高校生・不動明は、幼なじみの飛鳥了と再会し、危険なパーティに誘われた。そこで明は見る。悪魔に変わっていく人々を。そしてまた明自身も……。(あらすじは公式HPより)

「どれでもない」デビルマン

これはいわゆる地上波やBSではなく、Netflixという外来のネット配信サービスがオリジナル作品として制作したアニメである。したがってまだ未見であるあなたのような方々がたくさんいる前提で感想をかくことになる。

とはいえ、原作のデビルマンは1972年に発表された作品であるので、今更ネタバレも何もないのだが、同年放送されていたアニメ版は、原作とは異なるヒーローものだし、色々と噂に名高い「実写版」は論外としても、リメイクされた今回のDEVILMAN crybabyは果たして、原作よりなのか?それともヒーロー路線で一世を風靡したかつてのアニメ版よりなのか?

私個人の感想になるが、DEVILMAN crybabyは、「どれでもない」デビルマンだと思う。なぜなら、

①湯浅監督のアレンジが絶妙に加えられているから

②アニメ版デビルマンもからんでいるから

③ある部分原作を超えているから

という三つの理由が挙げられる。では一つずつ説明していこう。まず①だが、今回湯浅監督がデビルマンを作るにあたって大きく変更している場面がある。その多くが前半部分に集中しているので、もしかするとこの時点であなたは「これはデビルマンではない」と思ってしまうかもしれない。

湯浅監督の「計算」

しかし、私的には「そこはもう少し待ってほしい」ところなのだ。その理由は③で詳しく述べるとしよう。

ここでいえることは序盤に感じる違和感は湯浅監督の「計算」によるものなのだ、ということである。明のキャラクター設定や、物語の進行、あるいは絵柄も含めてここは間違いないところだろう。

②のアニメ版が絡んでいるというのはある種ネタバレに近いところでもあるのだが、DEVILMAN crybabyのデビルマンこと不動明は「ヒーロー」の側面ももって描かれている。原作とは異なる内容とはいえ、名作の誉高いアニメ版を無視しなかったことは特筆に値する。

そして③である。原作はあまりに表現が過激すぎて、普遍性をもてないのではないかという思いが、正直私にもあった。21世紀の現代において、原作のまま映画化なりアニメ化してしまうと、ある種、「実写版」のような目にあわないとも限らなかったのだ。

名作に「普遍性」を与えた

しかし、湯浅監督は見事なアレンジでデビルマンという名作に「普遍性」を与えたのだ。テーマ自体が「70年代にしか描けないものではない」ということをはっきりさせたという点で、湯浅監督のアレンジは意図的とすらいえる。現代にアレンジしてもテーマさえきちんとおさえておけばデビルマンは十分普遍的な名作だったのだ。

ただし、普遍性があるからといってなんでも現代におきかえればいいというものではない。置き換えるにしても原作へのリスペクトはもちろん、アレンジする能力が卓越していないと、駄作の烙印を押されてしまうのだ。そこへいくとDEVILMAN crybabyは、あの原作版デビルマンを、「現代語訳」した初のアニメ作品であるともいえるだろう。

全10話は決して短くはないが、DEVILMAN crybabyは、あの原作版デビルマンの魅力をあますところなく表現しているのは確かだと私は思っている。機会があればNetflixは初回一か月は無料のサービスをしているので、見てみてほしい。

 

au公式/ビデオパス

-2018年アニメ感想, 2018年冬アニメ感想, アニメ好きが高じて色んな感想を書いている老害オタクブログ