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[アニメよもやま話] アニメ的想い出徒然草 伝説巨神イデオン①

イデオン以前

今回は方々で語り継がれているイデオンです。しかし、よもやま話として取り上げるからには、作品論や哲学を語るつもりはありません。リアルタイムで私が通ってきたイデオンという作品との邂逅をしばらくお話ししてみようと思います。どうぞお付き合いください。

では、イデオンのテレビシリーズが放送される前の話からしていきましょう。当時既に無敵超人ザンボット3などで、オタク界隈の有名人だった富野喜幸(現・由悠季)監督が機動戦士ガンダムに続いて世に問う作品として、イデオンはすでにアニメファンの間では話題になっていました。

実際アニメ誌にも期待作として取り上げられていましたし、我々も期待していました。しかし、地方民には一つ問題があったのです。それはイデオンを放送するテレビ局のことでした。

ゴーショーグンの項でもお話しした通り、東京12チャンネル(現・テレビ東京)のネット局は、当時、九州・山口には存在しませんでした。

ですから、東京と同じタイミングでは放送されないものの、毎週見られるかどうかはわかりませんでした。そして程なく発表になったネット局に、福岡が含まれていたため、とりあえず下関市民のアニヲタは安堵したわけです。

思わぬ「引っ越し」

しかし、ことはそう簡単にはいきません。かねてより郊外に土地を購入した父母は、私が高2の時に引っ越しを決めてしまいます。引っ越し先は現代でも下関随一の難視聴地域で、福岡の放送局の一部は、関門橋に邪魔されて受信できません。その一部の局でイデオンは放送されていたのです。

実は引っ越す前の実家でも長らくUHF局が入らず、カラーテレビを購入してやっと見られるようになった経緯があったため、また再び見られなくなるというのは、私にとって引き裂かれるような思いがありました。現代では考え難い話ですね(笑)


物語はちょうど折り返し地点。毎日のように夢のマイホームについてウキウでいる両親を尻目に私の憂鬱は日増しに大きくなっていきました。

そうは言っても、高2の子どもが大人の決定に逆らえるはずもなく、引っ越しは確定しました。しかし、私は可能な限り逆らいました。幸いゴーショーグンと違い、イデオンは夕方放送だったため、学校で見られないということはありません。

アニメを「聞いていた」時代

では、どうしたか?当時はテレビもダイヤル式でチューニングを合わせられたので、ギリギリ見えるか見えないか(半分砂嵐でしたが…笑)のところで捕まえた電波でイデオンを見続けたのです。もちろんビデオなんかありませんから、カセットテープに録音して後で繰り返し繰り返し「聞いて」いました。

若いあなたは「何を言ってるんだ?」と思われたかもしれません。しかし、当時はドラマ編と呼ばれる音源だけ収録したレコードが普通に売られていた時代です。

幸いこの時期にはイヤホンジャックにピンプラグを差し込んで、ラジカセにつないで録音してましたから、親の声も入らずにクリアな音声が楽しめたのです。音だけ聴くことのメリットは脳内で映像を補完できることで、自分の中でのイデオンを構築できることになったのです。

実はゴーショーグンもブライガーもイデオンも同じ放送局が放送していたため、このチューニングは毎週のようにやっていました。そのたびに両親から「目が悪くなるからやめなさい」と言われましたが、やめませんでした。「イデオンが見られなくなること」は私にとってはそれほど耐え難いことだったのです。

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