回転!揺りイス固め.NEO

アニメ好きが高じて色んな感想を書いている老害オタクのブログ

*

[コラム] 世間に物申したい!老害ヲタクの独り言コラム・ 二次元と親和性の高い「必殺!」vol.2

2019/02/22

この記事は、 二次元と親和性の高い「必殺!」1の続きです。

必殺シリーズの中でもカルト的人気を誇る作品、それが「翔べ!必殺うらごろし」です。当時のオカルトブームに乗っかり、摩訶不思議な事件を毎回描いていたのですが、視聴率は振るわず、おまけにスタッフやキャストが次々と体調不良を訴えるなど、現実にも超常現象がおきたという曰く付きのシリーズでもありました。

この「うらごろし」が他の必殺シリーズと大きく異なるのは、殺しの技が「現実に再現可能」なものが多々あったということです。主要メンバーである先生(中村敦夫さん)は旗竿で敵を串刺し、おばさん(市原悦子さん)は、包丁で一突き、若(和田アキ子さん)は殴る蹴る…といった具合に、です。しかもそのほとんどが白昼堂々と行われているのも特徴的です。ほかのシリーズは主に殺しは夜行われ、しかも再現不可能な技で悪人を仕留めるので、必殺の殺陣はある意味独自の昇華を遂げたのですが、「うらごろし」はあえて真逆をいっていたのですね。

注目したいのは、この実現可能な殺しの技は、実写で人間が演じたからこそリアルになったのです。物語が超常現象を扱っているというやや突飛な設定であるがために、このリアルさが物語の中で不気味なくらい浮き上がっていたのです。これがたぶんアニメであったなら、そこまではいかなかったでしょう。では、アニメでこうしたアプローチをかけるとしたらどうしたらいいでしょうか?

アニメは基本なんでもできます。ですから少々突飛なことをやっても見ている側には当たり前のようにとられるでしょう。ということで、必殺にオマージュを捧げた例として、ここでとりあげる作品で、過去アニメが必殺にどうアプローチしていったかをみてみましょう。

1981年放送の「銀河旋風ブライガー」では、当初宇宙の始末屋としてアウトローチームのJ9が、法で裁けぬ悪を斬るストーリーが展開されていました。彼らが乗って悪と戦うのがブライガーという巨大ロボットであったわけですが、必殺の魅力でもある「暗殺」のテイストが巨大ロボットという派手で目立つアイテムによって相殺されていました。そもそもJ9というチームのカラー自体が、必殺とはかけ離れていました。よって物語後半では全然別物の宇宙活劇になっていきました。でもまあロボット物で必殺をやろうとした冒険心は評価していいと思います。

近年では「アカメが斬る」(2014年放送)で、必殺テイストを盛り込んでいました。この作品では1000年前、帝国を築いた始皇帝の命により造られた48の超兵器である「帝具」をもった帝都の富裕層や重役を狙う殺し屋集団ナイトレイドが、王政側の悪を懲らしめるという描き方をしていましたが、始皇帝の「ずっとこの国を守っていきたい」という願いのもとに開発された帝具は、体力、精神力を著しく消耗するがその性能は強大で、帝具の所有者同士が戦えば必ずどちらかが死ぬと言われているという設定が施されていました。

この帝具というのはなかなか発想としては面白かったのですが、架空の帝都で極悪非道の限りを尽くす帝都サイドの人間がアニメの場合、極悪人として描き切れていない感じが私にはしてました。特に必殺をそのままアニメ化したわけではないので、これはこれで問題はないのですが、鬼平のように必殺がアニメ化されたと仮定すると、このわきの甘さはやや気になるところです。

必殺がなぜアニメ向きかというと、実はアニメ的なテイストを実写に盛り込んでいるからなんですが、同時にシリーズ最大のウリであるアニメ的テイストはアニメ化されたら使いにくいという点にあります。「アカメ」はそういう意味ではよく頑張ったほうだと思いますが、じゃあこれをアニメにした場合、どうしたらいいのか?

私が考えるに徹底的な悪を描くことはむしろアニメの方がむいているのではないかと思うのです。ありえない悪を描くには今の実写ではちょっと難しいところがあって、そういう意味ではアニメって絶対的悪を描くにはもってこいだと思うんですね。問題は美学にまでなった殺しの手口をどう描くか?ここはかなり苦しむところだと思います。なんでもできちゃうからこそ、そこはこだわってほしいですね。時代劇が生き残るにはアニメというのもひとつ魅力的な選択肢ではないかと私は思うのです。









au公式/ビデオパス

-[コラム] 世間に物申したい!老害ヲタクの独り言コラム, アニメ好きが高じて色んな感想を書いている老害オタクブログ, 二次元と親和性の高い「必殺!」