[プロレス入場テーマ曲] プロレス的音楽徒然草Runner

[プロレス入場テーマ曲]プロレス的音楽徒然草

プロレス的音楽徒然草Runner

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1988年10月発売

今回は1980年代後半の全日本プロレスで結成されたユニット「決起軍」のテーマとして、また2011年に、テーマ曲をかけてDDTで抗争もあった、爆風スランプの名曲「Runner」(ランナー)のご紹介です。

「Runner」(ランナー)は、1988年10月21日に発売された爆風スランプ12枚目のシングルです。

1984年デビュー

爆風スランプは、1981年に結成され、1984年デビューした日本のロックバンドです。

ヤマハ音楽振興会主催のバンドコンテストである「EastWest」(1981年)で、最優秀グランプリを受賞した『爆風銃』(バップガン)のメンバーであった、ドラムのファンキー末吉さんと、ベースの江川ほーじんさん、優秀グループ賞を受賞した『スーパースランプ』のヴォーカル・サンプラザ中野さんとギターのパッパラー河合さんの4人が当初のメンバーです。

人気を博した

「Runner」は、『天才・たけしの元気が出るテレビ』の挿入歌に使用され、人気を博しました。

また「進め!電波少年」企画「猿岩石のユーラシア大陸横断ヒッチハイク」の応援曲として「旅人よ 〜The Longest Journey」が採用され、企画の人気と同様、ヒット曲となりましたが、1999年をもって活動休止しました。

陸上部を背景に

爆風スランプを代表する一曲で、『第39回NHK紅白歌合戦』でも歌われました、

「Runner」(ランナー)の歌詞は、陸上部を背景としていますが、本作を最後に脱退した、爆風スランプのベーシスト・江川ほーじんさんの姿になぞらえ作られてもいます。

応援歌の定番曲

「Runner」(ランナー)は、発売30年以上経過後も、応援歌の定番曲として知られています。

日本の高校野球の応援では定番の一つとなり、またプロ野球では、中日ドラゴンズの川又米利や広島東洋カープの野村謙二郎の応援歌としても採用されたことがあります。

決起軍について

さて、プロレス界ではなんといっても、全日本プロレスで結成されたユニット「決起軍」について語らねばなりません。

決起軍とは、1988年から1989年まで全日本プロレスで活動したユニットです。

ヴォーカルカット版

メンバーは、二代目タイガーマスク、仲野信市、高野俊二、高木功、田上明の五選手で、彼らのテーマ曲として「Runner」(ランナー)が使われました。

ただし、この時の「Runner」(ランナー)は、ヴォーカル部分をバッサリカットしたバージョンでした。

長期欠場へ

確かに、結成当時の血気盛んな五選手のイメージとして、「Runner」(ランナー)は非常に似合う選曲だったと私は今でも思っています。

しかし、タイガー選手は、「’88サマーアクション・シリーズ2」の終盤に左膝靭帯を負傷し、翌1989年の4月に左膝を手術し長期欠場に入ってしまいます。

2011年に

リーダー不在の中、残されたメンバーは伸び悩みの状態が続き、見かねたジャイアント馬場さんが6月7日に「全然決起していない」と決起軍の解散を発表、同時に「Runner」(ランナー)も使われなくなります。

時を経て2011年、今度はDDTで突然「Runner」(ランナー)が復活します。

被ったため

DDTの平田一喜選手が、2011年12月7日新木場大会、入場曲を「Runner」に変更しました。

しかし、同時期に松永智充選手も同曲に変更しており、被ったため、12月31日後楽園大会にて松永とRunnnerコントラRunnner行うことが決定します。

入場曲をかけて

12月31日後楽園大会、松永と入場曲を賭けたRunnerコントラRunnerに敗れた平田選手は、当時の入場テーマ曲だった「語れ、涙」に戻す事となりました。

テーマ曲コントラテーマ曲は、1994年にWARで実現したウルティモ・ドラゴン対ザ・グレート・サスケ戦で実現しています。

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サスケは・・・

当時、両者ともに入場テーマ曲にルイス・ミゲルさんの「セパラドス」を使用していました。

試合に敗れたサスケ選手はこの試合を最後に「セパラドス」の使用を放棄し、以降は「みちのくプロレスのテーマ」を入場曲にしたのでした。

オマージュ?

2011年の平田対松永の抗争は、おそらくサスケ対ウルティモのオマージュと思われます。

結果的に現在に至るまで松永選手は、Runnnerで入場していますが、こちらのバージョンは、サンプラザ中野くんが新たに歌い直したものになっています。

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ダンスで大ブレイク

平田選手はその後、2012年1月14日大阪大会で負傷し、前十字靭帯損傷、半月板損傷のため、欠場となります。

2013年3月20日後楽園大会で復帰した後、マグナムTOKYO選手を彷彿させるようなアイマスクをつけ、「東京に行きたくなるような曲」で踊るダンスで、大ブレイク。

切っても切れない

平田選手は、その勢いで日本インディー大賞のニューカマー賞で2位となる活躍をみせ、今や平田選手とダンスは切っても切れない関係になりました。

松永選手も、2021年からはDDTの地方大会などでレフェリーを務める機会が増えているため、会場で「Runner」を聞く機会はぐっと少なくなってしまいました。

30年を経てもなお

しかし、まさに曲に歴史ありともいえる「Runner」だけに、三度どこかの団体および選手が使用する可能性もありますし、私が知らないだけで、既に使われているかもしれません。

「Runner」のような大ヒット曲は、得てしてテーマ曲としては、やや使いづらいものがあるかとは思いますが、発売後30年を経てもなお、応援曲の定番として愛され続けています。

それだけに、使いようによっては、まだまだ可能性がある入場テーマ曲ではないか?と私は思っています。

プロレス的音楽徒然草
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