[プロレス] 私的プロレススーパースター烈伝(91)スタン・ハンセン

[プロレス] 私的プロレススーパースター烈伝

私的プロレススーパースター烈伝(91)スタン・ハンセン

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プロフットボールを経て

今回は浮沈艦の2つ名で呼ばれ、ウエスタン・ラリアットで多くのレスラーをなぎ倒してきたスタン・ハンセン選手のお話です。

ハンセン選手は、プロフットボール選手を経て、大学のフットボール部の先輩であったテリー・ファンク選手から声がかかり、プロレスにスカウトされました。

アマリロでデビュー

1973年1月1日、アマリロ地区でプロレスラーとしてデビューします。

アマリロでは若手時代のジャンボ鶴田選手やボブ・バックランド選手と行動を共にする機会も多かったそうです。

首折り事件

1976年4月26日、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンにおいて、当時のWWWFヘビー級王者ブルーノ・サンマルチノ選手の首を骨折させた事件を起こします。

これは、ハンセン選手がボディスラムを失敗したことによる重度の頸椎捻挫でした。

ただ公式にはウエスタン・ラリアットによる怪我として宣伝され、この一件でハンセン選手は一躍有名になります。

初来日は全日本

しかし、壊し屋の烙印を押されたため、対戦を嫌われ、アメリカでの活躍の機会は少なくなってしまいました。

初来日は全日本プロレスでしたが、馬場さんの評価はかんばしくなく、1977年1月、WWWFとの提携ルートで新日本プロレスに初参戦します。

新日本の外国人エースへ

新日本ではシリーズの外国人エースを務め、9月2日に愛知県体育館においてアントニオ猪木選手のNWFヘビー級王座に初挑戦します。

以降、新日本プロレスの主力外国人選手となり、猪木さんのライバルとして成長し、NWF王座をめぐる名勝負を展開しました。

対アンドレ戦

1981年9月には田園コロシアムにおいて、アンドレ・ザ・ジャイアント選手との伝説として語り継がれる名勝負を行いました。

1981年6月にテリー・ファンク選手の仲介によってダラスにおいて馬場さんと会談を持ち、ハンセン選手は新日本プロレスから全日本プロレスへの移籍を確約します。

全日本登場

「’81世界最強タッグ決定リーグ戦」最終戦にブルーザー・ブロディ&ジミー・スヌーカ組のセコンドとしてハンセン選手は全日本プロレスに登場します。

試合中に場外でテリー選手にラリアットを放ってKOしたことで会場は騒然となり、試合後もファンクスに暴行を加え続け乱闘を演じました。

秘密裏の移籍

ハンセン選手の移籍は秘密裏に行われており、ファンばかりでなく、当時の関係者をも大いに驚かせました。

当時、全日本と新日本は主力外国人選手の引き抜き合戦の最中にあり、ハンセン選手の電撃参戦は最大の事件として記憶されています。

2001年引退

結局、この引き抜き劇が新日本・全日本の両団体の戦争に終止符を打った形となりました。

ハンセン選手は全日本で活躍したのち、両膝の故障が元で2000年11月19日に引退を表明します。

異例の10カウント・ゴング

2001年1月28日、東京ドームでのジャイアント馬場三回忌追悼興行で引退セレモニーが行われました。

通常、全日本では選手が亡くなった時にしか10カウントゴングは鳴らさないのですが、ハンセン選手の功績を称えセレモニー中に異例の10カウント・ゴングが鳴らされました。

また、新日本・全日本の各選手が参列する引退セレモニーも異例のことでした。

私的プロレススーパースター烈伝
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