[プロレスブログ] プロレス的発想の転換のすすめ(72) プロレスと後悔

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いくつか残る悔い

今回はプロレスにおける「後悔」の話です。

私は始終あちこちのプロレス興行に出かけているため、大概後悔などは残していませんが、それでもいくつか悔いが残る大会、行けば良かったと後で悔やんだこともあります。

年二回見られれば上等

昭和62年に社会人デビューした私はその年に新日、全日をそれぞれ下関で生観戦しました。

今ほど地方でたくさんプロレスが観られる時代ではありませんでしたから、だいたい年2回観られたら上等でした。

気持ちの余裕が・・・

しかし、当時はまだ北九州や博多に足を伸ばす気持ち的な余裕がありませんでした。

ところが当時、新日本はともかく全日本はなかなか下関に来ないわけです。

相当迷った北九州大会

そんなわけで半年後に北九州で全日本が大会を開くと知った時は相当迷いました。

なんといっても前年のメインに出ていたハル薗田選手が一ヶ月後に飛行機事故で帰らぬ人になったばかりです。

一期一会の重みを噛み締めていながら、一方では「きっとまた次の機会があるさ」と根拠のない楽観主義を決め込んでおりました。

タイミングが悪いことに

とはいえ、全日本にブロディが戻って初の近郊開催でしたから、やはり心は揺らぎました。

タイミングが悪いことに近郊開催の大会には全日時代も新日時代もブロディは来日しておらず、またとないチャンスでした。

新日時代は私が広島にいたこともあって、タイミングが合いませんでした。どうしよう?行けないことはない。だが、しかし…

実績がないと

この時代、私はまだ新人の域を出ないセールスマンでした。

実績がないと自由に退社することもままなりません。

成績も決していい方ではなかったですからね。

プロレスが開催されている日にあてどもなく成果を求めて歩いても一向にいい方向にはいきませんでした。

実は方向音痴

もうひとつ躊躇したのは、今でこそナビのおかげでほぼ迷わずに目的地に行けますが、実はこの当時、私は西日本総合展示場に行く時ですら道に迷うような方向音痴でした。

もしこの時代に猪木さんが「行けばわかるさ」と発言していたならば、迷ってでも行っていたかもしれません。しかし、私は散々躊躇したあげく、観戦を見送りました。

かえらぬ人に

その二ヶ月後、ブロディは1988年7月19日、プエルトリコでホセ・ゴンザレスに刺殺され、帰らぬ人になってしまいました。悔やんでも後の祭りとはまさにこのことです。

既にブロディを知らない世代が多数をしめるほど、時は過ぎ去ってしまいましたが、あの時の決断は一生後悔するかもしれませんね。

焼き付いて離れない

だからブロディに対する想いは、亡くなって30年近くの時間が流れてもなお、私の中では未だに焼き付いて離れないのです。

私が数多くの大会を観戦し、少しでも多くのプロレスに接していたいという願いはブロディと薗田さんのことがあったことが大きく起因しています。

RINGSへの後悔は

中にはチケットを買ったのにいけなかった大会もあったりしました(RINGSの福岡大会)、が、こっちはWOWOWで見ることができたので、それほど後悔はしてません。

もしも、の話ですが、下関二回目の観戦になった新日本の大会で、前田日明がクラッシャーバンバン・ビガロにフォール負けしてなかったら、熱狂的なU信者になって博多とかにもいっていたでしょうし、このRINGSを生観戦できなかったことを死ぬほど悔いたことでしょう。

心はアメプロに・・・

でも当時萩に続いて下関でもフォール負けした前田をみてからは、私の心はアメリカンプロレスに傾いてしまい、現在に至っています。

これも何かの縁というやつなんでしょうかね。格闘系のプロレスは決して嫌いではありませんでしたが、アメリカンプロレスのきらびやかさに比べるとどうしても自分的にはしっくりくるものが少なかったですね。

インテリジェンスモンスター

ブロディの死後、たくさんのブロディコピーが生まれてきましたが、正直どれもこれもイマイチというか、心をぐっとつかまれるような選手にはいまだめぐり合っていません。

古館アナがブロディを指して「インテリジェンスモンスター」と呼んだのは言いえて妙だと私は思っています。

不出生のレスラー

形だけまねてもインテリジェンスな部分まではコピーできない、それが不出生のレスラー・キングコング・ブルーザー・ブロディという選手のオリジナリティでもあります。

決して新聞記者からプロレスラーになったからだとか、大学出だからインテリとか、そういう浅い部分ではないインテリジェンス。

孤高のインテリ

それがブロディの魅力でもあり、同時に疎まれた部分だったのかもしれません。自分より小さい選手は見下し、他人に妥協しない孤高のインテリ。

それゆえに多くのトラブルを発生させ、あちこちで恨みを買い、最後は刺殺という最後を迎えてしまったブロディ。

一期一会を逃した後悔

彼の試合はもはや映像の中でしか見ることはできません。

それだけに一期一会のチャンスを逃したことは悔やんでも悔やみきれないのです。

発想の転換のすすめ
プロレス的発想の転換のすすめについて書き出した2つの理由「発想の転換のすすめ」記事を書き出した理由は大きく分けると2つあります。一つは、ハラダのプロレス 観を文章にしたいという気持ち、もう一つは、40代に心理カウンセラーとして色んな学びをし






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