[プロレス入場テーマ曲] プロレス的音楽徒然草 HERO(ヒーローになる時、それは今)(ハイパーミサヲのテーマ)

[プロレス入場テーマ曲]プロレス的音楽徒然草

プロレス的音楽徒然草 HERO(ヒーローになる時、それは今)(ハイパーミサヲのテーマ)

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愛と平和を守るニューヒーロー

今回は「東京女子の愛と平和を守るニューヒーロー」ハイパーミサヲ選手の初代テーマにして、2021年1月現在も再度使用中である、甲斐バンドの「HERO(ヒーローになる時、それは今)」のご紹介です。

「HERO(ヒーローになる時、それは今)」は、1978年12月に発売された、甲斐バンド11枚目のシングルです。

1979年というと私がちょうど中三で思春期まっさかりの頃でした。

CMソングに起用

実は甲斐さんのやっていたラジオ「サウンドストリート」もよく聴いていました。

今ほど著作権があーだこーだ言われない時代でもありましたから、当時のヒット曲というのはラジオ以外でも街中とかでよく流れていました。

「HERO(ヒーローになる時、それは今)」は、服部時計店(現:セイコーホールディングス)のCMソングに起用され、バンド・メンバーが登場するCMが1979年1月1日の0時ちょうどに、民放各局から一斉に放送されています。

同年2月には、バンド初のシングル盤チャート1位を獲得したヒット曲です。

TVに出ないことが格好いい

ただし、当時はTVに出ないことが格好いいとされた時代で、甲斐バンドもその例に漏れませんでした。

1979年3月15日の「ザ・ベストテン」に出演する際、NHK-FMで甲斐よしひろさんが担当していた音楽番組「サウンド・ストリート」の公開録音スタジオから生中継され、当時の司会者である黒柳徹子さんと久米宏さんの2人と話をしないなどの条件を付けて出演しています。

異なる形の使われ方

あれから40年以上の月日が流れ、このように耳にしていた楽曲が年月を経てくると、昔知っていたのとは異なる形の使われ方をしてくることがあります。

おそらくですが、当時青春時代を歩んでいた人間たちが出世し、自分たちが影響を受けた歌や文化を、発信者側として伝える側に回ったことも大きかったのでしょう。

とはいえ、自分の実感としては、発信者側になったことがないせいかイマイチピンとこないんです。

みんなプロレスの入場テーマに

顕著なのは、自分らの世代の選手たちがいつのまにかヤングライオンを卒業し、海外遠征を経て、スターとなり、やがて一人、また一人と引退してフェードアウトしていく様をみている時には、自分も年取ったなあという実感がわきます。

甲斐さんが「サウンドストリート」を担当していた時期には、佐野元春さんや坂本龍一さんらそうそうたるメンバーが名を連ねていましたが、みんなプロレスの入場テーマに関わったミュージシャンになってしまうとは当時想像もしていませんでした。

主な使用例

ちなみに、佐野さんの「約束の橋」は、二代目タイガーマスクから素顔になった三沢光晴選手が一時期使用していました。

また坂本教授みずからが参加した坂本龍一&カクトウギセッションの「カクトウギのテーマ」は、全日本プロレスの時間切れ引き分けのテーマなど多岐にわたり使われている名曲です。

想像を巡らせながら

冒頭にも書いた通り、「HERO(ヒーローになる時、それは今)」は1978年発売で、当然ハイパーミサヲ選手はリアルタイム世代ではありません。

そもそも東京女子の甲田代表ですら、1978年には8歳だったことを考えると、ミサヲ選手がよほどのレトロ歌謡好きか、でなければ、甲田代表の上司にあたるあの人の趣味としか考えられないですね。

まあ、正解はさておき、そうした想像を巡らせながら、「HERO(ヒーローになる時、それは今)」を聞いてみるのもいいかもしれないですよ。

プロレス的音楽徒然草
プロレス的音楽徒然草についてものがたまりやすいプロレス観戦記は、自分でブログの核にしたいという気持ちがあったんですが、プロレス入場テーマ曲記事「プロレス的音楽徒然草」に関して言うと、そこまで能動的な理由はありませんでした。私はプロレス以外に






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