[プロレス読書感想文] プロレススーパースター本列伝 最強の系譜 プロレス史百花繚乱

プロレススーパースター本列伝 最強の系譜 プロレス史百花繚乱

[プロレス読書感想文] プロレススーパー本烈伝 不在証明―あるいは猪木へのレクイエム (ザ・プロレス本)
プロレススーパー本烈伝 不在証明―あるいは猪木へのレクイエム (ザ・プロレス本)活字プロレスの生みの親日本において「活字プロレス」という独特の文化を創造した偉大なるライターが井上義啓氏ことI編集長である。1967年より「週刊...

それなりの時間と体力

「最強の系譜 プロレス百花繚乱」を購入したのは、随分前になるが、これだけの分量と熱量を受け止めるには、それなりの時間と体力を要する。

体力は一気読みする時には必要だが、日常生活で、まとまった時間はなかなか取れそうで取れない。

多少荷物としては重くはなったが、四回目の抗がん剤治療入院で、ある程度勝手がわかっているこのタイミングがベストと思い、病室に持ち込んだ。

プロレス最強論

さて「最強の系譜」の前書きには以下のような文言がある。

「我々は子供のころ彼らの勝ち負けや強さの優劣に一喜一憂していなかったか。ボクシングや相撲の延長線上にプロレスを捉えていなかったか」

「最強の系譜」は、「プロレス」と「最強」という命題から目を逸らさず、欧州を中心とした戦前戦後の膨大な資料を発掘し伝説の元レスラーや関係者へインタビュー、そしてそこから得られた貴重な証言をつみ重ねたものが惜しげもなく公開されている。

最強とは思わなかった

それほどまでの情熱で著者が一貫して追い続け今もなお辿るのはまさに少年のころ抱いていた「プロレス」に確かに存在したはずの「強さ」「勝負論」「最強論」であり、これはその証の集大成といってよい。

しばらく私語りをすると、個人的には最強というものにあまり過度な期待はしてこなかったため、プロレスが最強とは思わなかったクチである。

空白の期間

その原因は小学生の時にリアタイ視聴した「猪木×アリ」戦に起因するのは明白で、実際、長いプロレスファン歴で、猪木対アリから初代タイガー末期くらいまで、私には「空白の期間」が存在する。

とはいえ、子ども時代の私に「最強とは何か?」というのは非常に難しい哲学であり、考えるのをやめて「より面白いほうへ」流れていった結果が現在の私である。

最強とは何か?

そんな私に改めて「最強とは何か?」という命題を私に突きつけてきたのが、「最強の系譜」という本だったわけである。

プロレスラーの評価の尺度が「強い弱い」でなく「巧拙」で語られるようになって久しい。

MMAの出現などで競技とは別の「スポーツエンターテイメント」のような認識で新たなファン層に支えられているのが今のプロレスであることに異論はない。

観る側の成熟?

実際、今のプロレスは非常に楽しいし、エンターテインメントとしてとても完成されているからこそ、最強幻想を抱かない私がプロレスファンを続けてこられたのだと思う。

それがプロレスのひとつの側面であり、ある種これは観る側の成熟と呼んでもいいだろう。

「仕事」を超えた情熱

しかし、「最強の系譜」のように、単なる「仕事」を超えた強烈な情熱によって書かれたものはどんなものでも読者にその思いが伝わる。

その一文一文から感じる熱量は半端ないものがあり、いちいち病床で私は圧倒されていた。

独立したテーマの章立て

本の構成も、それぞれ独立したテーマの読み物を並べて章立てされているので、興味のある好きなところから読んでも大丈夫なようになっている。

実は私は最初から順序立てて読む派なので、好きなところからつまみ読みすることはないのだが、初めてそれをしたのが本書「最強の系譜」になる。

ボックのインタビュー

それは言うまでもなく、墓掘り人ローラン・ボックのインタビューである。

既に家には収まりきれないプロレス本があるため、雑誌の類は欲しくなる自分の習性を考慮して、Gスピリッツや週プロにも目は通さない。

だから、不覚にもローラン・ボックがインタビューを受けていた事実を「最強の系譜」で知ることになるのだが、こうして単行本化してくれた事で、目にする事がでかきた読者も少なからずいるのではないだろうか?

キャッチの成り立ちと藤波家

ただ、個人的に一番印象深かったのは、ボックの肉声より、キャッチレスリングの歴史と成り立ちの部分である。

本書でも触れられているが、キャッチを今なお世に伝えているビリー・ライレージムと、藤波辰爾さんには親交があり、90年代に藤波さんが主催した「無我」では、キャッチのトーナメントが行われ、私も生観戦している。

LEONAから読み解く「最強」

藤波さんの息子であるLEONA選手は、現在ビリー・ライレージムを主催するビル・ウッド氏からキャッチの手解きを受けている。

私も一度だけだが、LEONA選手のファイトを観戦したが、多人数タッグの中で光ったのは、父譲りのドロップキックくらいで、あとはほとんど印象に残っていない。

しかも、ウッド氏はインタビューの中で「キャッチ以外のことに興味はない」という意味のコメントをしており、現在のプロレスを知らないと思われる。

プロレスのリアルとは?

要するに、LEONA選手は、基礎の基礎は学んだ選手だが、そこから上積みされたものがあって、はじめて「プロ」レスラーと評価される現在、「最強」のみではプロレスラーとして一本立ちできない可能性が高い。

藤波家のDNA頼みだけでは、どうにもならない現実がここにある。

皮肉にもプロレスラーとしては、伸び悩んでいるようにみえるLEONA選手を通じて、あらためて「プロレスリングのリアル」とはなんぞや?と考えさせられたのである。

裾野が広がりすぎた

「最強の系譜」では地味すぎたが故に実力ほど評価されない強豪がたくさん登場する。

私は、彼ら一人一人の評伝を読んでみたいと思うくらい興味があるのだが、同時に「最強」以外の多様な価値観を持ち合わせてしまった現代のプロレス界では、「ストロングスタイル」が過去のものになるのはやむを得ないのかもしれないとも感じた。

それくらいプロレスの裾野は広がりすぎてしまったのだ。

切っても切れない関係性

現在、キャッチレスリングは、総合格闘技ともプロレスとも異なる独自のスポーツとして広がりをみせているようだが、意外とそれは正しい生存戦略なのかもしれない。

とはいえ、プロレスにはこれからも「最強論」がつきまとっていくだろう。

総合とプロレスの接点が切れないように、CACC(キャッチレスリング)と、プロレスも切っても切れない関係性がこれからも続いていくのではないか?

私は「最強の系譜」を読み終えて、そんな事を考えているのである。

プロレス読書感想文
プロレス読書感想文について私が感じた事を書いているプロレス読書感想文は、読んで字の如くプロレスにまつわる本を読んで私が感じた事を書いてます。今のところ活字本が中心になっていますが、いずれコミックなどに広げていけたはいいな、と思っています。あ






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