プロレス旅日記・1994年の青森・みちのく一人旅前編・青森に行く決意をするまで

なんで思い立ったのか

今回は、過去の記憶を辿りながら、1994年夏に訪れた青森までの旅を振り返りたいと思います。

そもそもなんで青森行きを思い立ったのか?そこからお話しなければならないですね。

私は1992年に、当時の週刊プロレス投稿常連会プレッシャーというサークルに入会しました。

当時としては非常に珍しい全国規模の組織で、全国津々浦々に会員がおりました。(→プレッシャー編はこちらからどうぞ)

不便なりに楽しい時代

しかし、私が入会した当時、我が山口県…というか中国地方には会員は、私一人で、他の会員さんと交流するには、文通(°°)もしくは固定電話(°°)しか手段がありませんでした。

今なら個人情報保護の観点から完全にアウトなんですが、当時は会員名簿と住所録が、会員全員には配布されており、それを頼りに、他地域の会員さんと交流してました。

SNS全盛の時代からは信じられない話でしたが、不便なりに楽しい時代でした。ちなみにやりとりしたお手紙は今でも実家に保存してます(笑)

実際に会わないと

そんな中に当時青森在住の会員さんと接点ができました。きっかけはなんだったのかは、さすがに思い出せないのですが、同じ本州の端にいながら、青森在住の会員さんは3名もいらっしゃいました(ちなみに、多分現在では御三方とも、青森県にはいないはずです)。

くどい様ですが、文通の時代ですから、実際に人となりを知るためには、実際に会わないといけません。

ましてや、90年代前半は、1993年にみちのくプロレスができ、ローカルプロレス団体のモデルケースになって、地方にプロレスが根付いていくまでの黎明期でもありました。

人的交流が活発だった

生のプロレスを見るには、自分の街にプロレス巡業がくるのを待つか、さもなくば大都会に自ら赴いて観戦するか、の二択しかありませんでした。

ですから、現代よりは人的交流が全体的に活発だったのが、1990年代初頭だったというわけです。

折りしも、週刊プロレスが地方のプロレスファンが都会のプロレス観戦に行く様を「密航」(週刊ゴングは「遠征」)と表現しており、そういう観戦スタイルは、ある意味ステータスでもありました。

ちょっとその気になれば

そもそも当時の仕事が大嫌いで、私は毎週週末になると、下関を脱出して大阪までプロレス観戦に行っていました。

大阪ほどではないにしろ、年に数回は関東圏にも出没してましたから、ちょっとその気になれば、青森には行ける、と若き日の私は割と安直に考えていたのです。(中編はこちらから)

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