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[プロレス映画鑑賞記] ホネツギマン(1998年アメリカ:原題:THE NAKED MAN:上映時間98分)

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ホネツギマン(1998年アメリカ:原題:THE NAKED MAN:上映時間98分)

あらすじ

2005年10月22日観賞。

昼はインターン整体師として働きながら、夜は人体模型柄のボディスーツがトレードマークのプロレスラー“ホネツギマン”として活躍するエドワード(マイケル・ラパポート)。身重の妻・キム(アリヤ・バレイキス)を連れて、両親の家の向かいで開業しょうとした矢先、事件は起きる。スティックス(マイケル・ジェッター)という男が両親を殺害してしまい……。(あらすじはYahoo!映画より)

迷走すると凶器に変貌

「ホネツギマン」の物語は、いじめられっこが一念発起して憧れのレスラーを目指してアマレス選手になり、プロレスラーとなった一方で、レスリングの奨学金で入学した大学で学んだ整体を生かして独立整体業を営む男(といっても某団体の解説者ではない)が、麻薬がらみの陰謀で両親を惨殺されその復讐に立ち上がるといういたってシンプルなモノ。

ところがこの描き方が秀逸だった。序盤、レスラーと整体士を目指す主人公の動機が丁寧に描かれている。

これによって非凡な才能と強い意志(決してそれを正義としてだけではなく、ややもすると頑迷にもなりうる側面を忘れずに描いている)が、両親の死によって迷走すると凶器に変貌するという中盤の展開の伏線にもなっている。

プロレスと本筋の絡ませ方

ここで注目なのが「ホネツギマン」のプロレスと本筋の絡ませ方。一応ショーという扱いになっていて、その為に外見上はパッとしない主人公が全身人体標本を模したタイツとマスクで覆面レスラーになって米インディーズ(と思しき)マットで活躍するようになる。

後々敵ボスと一対一の対決になったときにリングコスチュームのまま現れた主人公に対してボスが「見せ物の化けものめ」とののしるほどグロテスクでもあるがどこか愛嬌がある。

崇高なモノを感じる

一方で不良少女が「崇高なモノを感じる」とも表現している所がいい。

しかしこの「内蔵坊や」(ともよばれている)がアマレス時代のエピソードで既に何人もの対戦相手の関節を極め、病院送りにしてしまうと言うエピソードが事前に挟まれていることによって、実力者がショーマンを演じているという図式を作り上げているのである。

そして悲しみのあまり錯乱したままリングに戻ってきた主人公がかつての仲間達をバトルロイヤルで次々葬り去っていった後(事前の取り決めがなし崩しに段取り無しのハプニングとすり替わってしまうあたりまで描いている)マイクを持って演説をブチあげるのだが、これが整体師らしく背骨のゆがみからくる文明批判。まるで無我説法のようなアピール。

自らも癒されていく

「ホネツギマン」制作当時(98年)といえば丁度西村「いかレスラー」修がそういうキャラになった頃とほぼ一致するのだが、まさかモデルになっているのか?

物語はさらに深く、性善説と性悪説あたりにまで踏み込んだかなり深い展開に。途中悲しみに暮れる主人公に寄り添う形で不良少女が登場。彼女もまたいえぬ悲しみを持った人間で、件の主人公の説法を聞いて感銘を受けた一人だったことになっている。

彼女は主人公に思いを寄せつつ、彼を助けながら徐々に自らも癒されていく。

それでもよし

「ホネツギマン」の良いところは、殺されたと思われていた主人公の妻が一命をとりとめていたことと、妻が死んだと思いこんでいる主人公が親切にしてくれる不良少女に安易に乗り換えたりしないこと、そして少女もまた「それでもよし」としている点。

ここが美しいのである。

そして妻との思い出が蘇ったことで、ある種正気へ戻っていく伏線にもなっているのだから実に用意周到。

きわどい設定も凄い

「ホネツギマン」は、一方で陰謀張り巡らせる側にもスポットライトを当てることを忘れてはいない。

悪役が背骨の病気で心まで曲がってしまったドラッグストアチェーンのオーナーにして身体障害者(兼麻薬密売人)とその一の手下がジャンキーながらボスをしたってついてきている薄弱児というかなりきわどい設定。

それも凄いのだが、歪んだ背骨は治せても歪んだ心までは直せないと言う、整体万能、自然回帰を頑なに信じている主人公をラスト近くでこの監督は冷徹に突き放す。

余韻は極めて重い

「ホネツギマン」は、ラストこそ錯乱した心理状態が罪に当たらないとして主人公は無罪放免、瀕死だった奥さんとも再会を果たすのだが、余韻は極めて重い。

ラスト近く主人公を追ってきていた刑事が「ホントもショーも無え!」という台詞があるのだが、ボスの口を借りた一般視点からの蔑視に対するアンチテーゼとも取れなくはない。

事実ラストで罪を犯したはずの主人公をこの刑事は善人として迎え入れる。ここに異形のものに対する監督の深い愛情を感じたのである。

プロレスを刺身のつまにせず

プロレスを物語の刺身のつまにせず、かといって腫れ物に触るでもなく、裏側をえぐり出すというやり方以外にきちんとした形で描いて見せていることに対しては、「ホネツギマン」には最大級の賛辞を送りたいと思う。ここまで「わかっている」人がいてくれたんだなあと思うと正直言ってとても嬉しい。

ただその反面気になったのが「ホネツギマン」というタイトル。正直最初見たときにはコメディーかと思った。ちなみに原題は「THE NAKED MAN」。辞書で見てみると「裸の男」「ありのままの男」「真実の男」などの意味になっている。はっきりいってテーマ的にも原題の方がしっくりきているのに、職業がレスラー兼整体師というだけでこんな邦題つけた人間は罪だと思う。

冷静な視線と限りない愛情

「ホネツギマン」自体はプロレスに対する冷静な視線と限りない愛情が感じられるのに、悪い意味でのいろもん扱いしたこの邦題。おそらくろくに中身も見ないでつけてしまったのではないか?だとしたらこれはとんでもなく不幸なことである。

これで逆にこの作品を敬遠する人が多かったらどうしてくれるんだって言いたい。






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