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[プロレスブログ] 200%元気になれる!老害プヲタ・プロレス“ザ・モンスター”ハラダの発想の転換のすすめ(50)超私見ロックアップ考察

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老害プヲタ・プロレス“ザ・モンスター”ハラダの発想の転換のすすめ(50)超私見ロックアップ考察

闘いのはじまり

今回は遅まきながらロックアップの話です。ロックアップ論争に便乗するわけではないですが、私は「ロックアップ=闘いのはじまり」だと思っているので、この機に私見を述べさせていただきたいと思ったのです。

そもそもロックアップの由来は、片手で相手の頭を自分の懐に引き込みつつ、もう一方の手で相手のそれを防御する、という攻防です。

この体勢を「レッスル」と言うそうです。 レッスルより始めるからレスリングなんですね。プロレスがレスリング由来である重要な部分です。

レッスル=組手

日本語に翻訳するのに、適切かどうかは定かではないんですが、このレッスルの部分って、私は「組手」なんじゃないかと思っています。

この組手があるなしっていうのは、結構重要で、街の喧嘩や、なんでもあり寄りの総合に、組手はまずないと思います。

誤解を恐れずに言えば、組手があるものは明確に「コンタクト・スポーツ」なのではないかと思います。

相撲、アマレス、空手、柔道など、組手が存在する格闘技は決して少なくはありません。

キック・ボクシングやボクシングには組手がないですが、そもそも掴めないグローブをはめているので、これは例外でしょう。

ロックアップを咀嚼

日本プロレスの始祖ともいうべき力道山選手は、アメリカでプロレス武者修行を行っています。当然そこで、ロックアップの意味合いも教わってきたと思われます。

で、力道山選手はなぜこのロックアップを自分のものにできたのでしょうか?私が想像するに、大相撲にある「組手」の概念を、自身の中で応用して咀嚼したのではないかと思うのです。

大相撲は、組んでから右四つ、左四つに組んで、そこから投げる競技ですが、レスリングでもこの差し合いは、勝敗を決める非常に重要な要素になります。

そこにはれっきとした「闘い」があるわけで、アメリカンプロレスに薄かったであろう「闘い」の概念を注入したのは、力道山選手ではないかと私は思っています。

「組む=闘い」の概念

その力道山選手の遺伝子を受け継いだのが、ジャイアント馬場さんと、アントニオ猪木さんだったわけですが、馬場さんはプロ野球出身者、猪木さんは陸上競技出身です。

そもそも両スポーツとも組手の概念はなかったので、師匠が「こうだ!」というものを、馬場さん、猪木さんがそのまま素直に受け取った結果、後世に「組む=闘い」の概念が受け継がれたのではないでしょうか?

ただし、その遺伝子は年々薄れていっているので、ここでロックアップ論争が再燃したことは、選手にもファンにとっても意義のあることだと思っています。

なぜなら「なんとなく」やっているロックアップにどういう意味があるのか?お互い考える契機になったと思われるからです。

アマレスを引き合いに

では、最初にご紹介したレッスルという点からアマレスを引き合いに出してみましょう。アマレスには、足への攻撃がNGで上半身のみを使うグレコローマンスタイルとフリースタイルの2種類があります。

グレコローマンでは、足へのタックルなどはナシになっています。片や、フリースタイルは文字通り自由で、全身が使えます。

子供の頃から始める場合はフリーのみで、高校に入学する段階でフリーを続けるか、グレコローマンへ転身するかを決めることが多いようです。ただし、子どものころからからフリーをしてきた選手にはかないません。

レスリングあるある

例えるなら、ボクシング選手がキックボクシングには即、対応できないようなものなので、途中からアマレスをはじめた、他競技から転向してきた選手にとって、グレコローマンが存在する意味というのはあるわけです。

組手というのは、レスリング経験者にとっては「あるある」なようで、部の仲間同士が校内や部室で声を交わすとき、あいさつ代わりに組手を仕掛け合うことがあるようです。

ここからは引用になりますが、アマレスの組手について、このような記事を見つけました。

wrestlewrestleさんのブログより

レスリング、とりわけフリースタイルは構えとか組み手の感覚が非常に難しいものです。ほんの微妙な感覚なんですが、いつまで経ってもそれが掴めないのです。私自身も「何が解らないのかが解らない」という五里霧中状態が続きましたが、組み手について一ついわれて納得したのが、「組み手は肘から上でやる」という考え方です。(中略)

イメージとしては出来るだけ脇は締めておいて、その範囲内で出来る組み手をする、という感じです。その範囲で出来ない組み手は無理をしない方が良いのです。そして、たとえ腕を伸ばしたとしても、タックルに入られるような危険な状況になったら、すぐさま脇を締めて防御できる態勢を整えていきます。つまり肘から上で組み手をするということは、自分の守りの体勢を崩さないようにするための攻め方なわけです。

例えば、相手に組みに行こうとする場合、この感覚がない人は思いっきり手を伸ばして相手にくっつきに行こうとします。そして、腕ばかりか、胴体までもが相手に乗りかかるようになってしまうため、防御のバランスが極めて不安定になります。そこをタックルを狙われたら取られてしまう可能性が高いのです。

いきなり首とか肩に手を掛けようとせず、頭とか手首とかまずその辺から手の届く範囲で攻めていきます。そして肩や首まで手を掛けたければ、手を伸ばすのではなく、体全体を足で前に出し、手が届くところに来た段階でくみに行くというイメージを持った方が体勢が安定するでしょう。

という感じですね。

プロレスのロックアップ

ではプロレスのロックアップについて、フミ斉藤さんの記事を引用します。

プロレス史学における“ネイチャー・ボーイ”ロジャースの再来はリック・フレアーということになっているが、1949年生まれのフレアーはロジャースの全盛期の試合は目撃していない。

ロジャースの生の試合をまじかで観ていたニックは、1970年代にロジャース・スタイルを復刻した。

きれいにまとまったブロンドの髪はロジャースとまったく同じ形のポンパドゥールで、リングに上がってくるときに右手に持つ純白のスポーツタオルもロジャースのトレードマークだった。

ニック(ボックウィンクル)は、(バディ)ロジャースを知らない世代の観客のまえでひとつのスタイライゼーション=様式としてのロジャースをひじょうにさりげなく演じた。

ロジャース・スタイルとは、ベビーフェースを輝かせ、観客を手のひらに乗せ、アリーナに一体感をつくり出し、試合が終わってみたらto be continuedになっているプロレス。かんたんにいえば、負けそうで負けないヒールのチャンピオン像ということになる

まったくといっていいほどスープレックス系の大技を使わないレスラーだった。

アメリカン・スタイルの基本中の基本とされるカラー・アンド・エルボーのロックアップは“パチン”という音とともにはじまり、サイド・ヘッドロックからハンマーロック、ハンマーロックからリストロック、リストロックからアームロックと、その動きはまるでチェスのゲームのような連続性のある“旋律”になっていた。

これは“チェーン・レスリング”(鎖のようにつながったレスリング)と呼ばれる万国共通のプロレスラーのボディー・ランゲージで、腕と腕をからませ合っただけでおたがいの技量・力量が瞬時に判断できるのだという。

(ニック・ボックウィンクル レスリングの“哲学者”――フミ斎藤のプロレス講座別冊レジェンド100<第35話>より抜粋・引用)

チェーンレスリングの序章

といった感じで、「アマレスあるある」と、プロレスがここでつながってきました。ロックアップというのは、チェーンレスリングの序章にあたる部分で、そこだけが今回「騒動」としてクローズアップされたわけですね。

そして、そこにはボディランゲージという共通項があるわけです。これはレスリングに限らず、コンタクトスポーツには大なり小なり同じ意味合いがあるのではないか、と思われます。

レスリングの場合、wrestlewrestleさんが書かれているように、「肘から上で組み手をするということは、自分の守りの体勢を崩さないようにするための攻め方」という意味があります。

つまり基礎のしっかりした選手という印象を、お客さんにわからせるためには、頭の先から指先まで神経を張り巡らさないといけません。

攻守の意味

かつて馬場さんは指先にまで緊張感をもって動かしている藤波辰爾さんの試合を、ほめていたことがあったんだそうです。

地味でともすればお客さんがみていないかもしれない指先の動きまで、神経をいきわたらせてこそ、大技も光るわけです。

普段からそうした姿勢を見せ続けていくことって、実はとっても大切なことだと、馬場さんはおっしゃりたかったのかもしれません。

ロックアップがおざなりに見えたということは「攻守の意味が選手自身わかっていない」とお客さんに、誤解を招く解釈をされかねない危惧もあるわけです。

「プロ」の「レスラーではない」

また、ロックアップができないということは、その先のチェーンレスリングもできないということにもなりかねません。そうなると、「プロ」の「レスラーではない」という意味にもなりえると私は思います。

80年代前半までは、ロックアップがプロレスの闘いを示す、主流の合図のひとつでしたが、UWFが出現し、蹴りと打撃をプロレスに導入したことで、間合いも大きく変わっていきました。

しばらくそれを忘れていましたが、2021年7月1日に旗揚げしたGLEATでみたUWFルールの試合をみていて、久々に色んなことを思い出していったんですね。

UWFが持ち込んだ概念

UWFの「いつ決まってもおかしくない」という空気や、打撃によるKOの概念は、それまでのプロレスにないものを導入してきたのです。

これによって、レスリングであるはずのプロレスから、ロックアップやチェーンレスリングの出番を奪っていきました。

しかし、それだけになってくると「闘い」の表現が狭くなってきているんですね。

やっぱりロックアップからのチェーンレスリングもあって、片やUWFのような間合いを簡単に詰められない闘いというのもあっていいんです。そうすると、闘いを表現できる幅が大きくなるんですね。

でも、どっちかになってしまうと、これはこれで面白くないわけです。UWFが持ち込んだ間合いには、個人的にひとつ気に入らないところがあるんです。これは私が昔からそう思っていたのですが、「会話」が少ないんですね。

会話が少ない

そう、アマレスのあるあるである、組手が挨拶代わりになっているというアレです。Uに会話が全くないとはいいません。グラウンドでは会話が成り立っている場面もありますからね。

でも序盤における手探りの攻防で、なぜ会話が必要なのかというと、そこで会話している内容というのは、対戦相手と選手自身だけでなく、観客にわかる会話なわけです。

それが間合いを詰められないUスタイル系の序盤や、いきなり跳び技主体にしたり、エルボー合戦してしまったりするのは、なんか違うと私は思うんです。奇策としてはありなんですが、本道ではないと私は思うのです。

若さの特権

GREAT旗揚げ戦は粗削りでしたけど、若者が懐古趣味のUではなく、自分たちが創ろうとする新しいUWFを作りたいというメッセージを感じました。

であるならば、メインでスタミナ切れしていた伊藤選手は、新日本のSHO選手に負けてはしまいましたが、伊藤選手に限らず、若い選手は負けて次に立ち上がろうとする姿が、絵になると思うんですね。

これって若さの特権なんです。できることなら今度は伊藤選手が新日に乗り込んでいってSHO選手にリベンジを要求してもいいと思うんですよ。そのくらいの気概はほしいところです。

Uの純粋培養?

変にUWFの中で純粋培養されても意味がないと思うのです。田村潔司さんはあくまでUにこだわるようなコメントを残していましたけど、色んなプロレスを知って、その中でUを極めるというやり方もあっていいと私は思いました。

そこで選手が連敗したとしても、その経験をGLEATに持ち帰って、肥やしにできるのも若さの特権ですよね。その経験を還元することで、GLEATは今日よりもっと大きくなっていく可能性を感じました。

まとめ

話しが、ロックアップからGLEATまで話が多岐にわたりましたが、プロレスが闘いであることを示すのには、Uスタイルだけだと物足らないと思います。

せっかくロックアップもこのタイミングで脚光を浴びたのですから、ぜひロックアップからのチェーンレスリングで、闘いを示すことのできるプロレスラーが、できたらGLEATからも出てきてほしいなあと思いました。

そういう意味ではまだまだ課題は多いんですが、可能性という点ではGLEATには賭けてもいいと思わせる希望を感じられました。これは非常にでかいことではないかと私は思うんですよね。

今回の話をまとめていうと、

①ロックアップはレッスルであり、レスリングのはじまりでもある
②ロックアップは闘いのはじまりであり、闘いの表現法のひとつ
③ロックアップすることで、お客さんに自身と対戦相手の技量をわかりやすく伝えられる。

となります。

最後に

最後に、個人的には、ロックアップ騒動の渦中にある現役選手は、私が観る限り責められるほど基礎ができていないとも考えていません。そして決して擁護する気もないことを言っておきたいと思います。

そして、そこに注文をつけたもと選手に対しても、全く思うところはありません。これをいって今回は締めさせていただこうかなと思います。

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