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[プロレス] 私的プロレススーパースター烈伝#70 アーン・アンダーソン

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私的プロレススーパースター烈伝#70 アーン・アンダーソン

スパインバスターの名手

今回は、アメリカではフォーフォースメンら、数多くのユニット・タッグで活躍し、スパインバスターの名手として知られるアーン・アンダーソン選手のご紹介です。

アンダーソン選手は、1982年1月にデビューし、1983年よりジョージア・チャンピオンシップ・レスリングに転戦します。ここで、ブッカーのオレイ・アンダーソン選手誘われてアーン・アンダーソンに改名します。

1960年代から1970年代にかけて一世を風靡したアンダーソン兄弟の末弟となり、伝統のタッグ・ユニット「ミネソタ・レッキング・クルー」を再結成します。これは単純にアンダーソン選手の風貌がオレイ選手とよく似ていた、ということが理由だったそうです。

フォー・フォースメンの一員

その後、ジョージア地区がノースカロライナのジム・クロケット・プロモーションズと合併すると、1986年にリック・フレアー選手やタリー・ブランチャード選手らとのヒール軍団「フォー・ホースメン」を結成し、プロレス史に残る名ユニットの一員として活躍しました。

なお、フォー・ホースメンというユニット名はアンダーソン選手自らが命名しています。

リック・フレアー選手とは、年齢は離れているものの、親友の間柄であり、WCWやWWEでは、フレアー選手の右腕として活躍しました。

シングルよりタッグで

愛称は「AA(ダブルA)」、ニックネームはジ・エンフォーサーといいます。意味は殺し屋ですね。

殺し屋の名の通り、「仕事人」タイプの実力者で、シングルプレイヤーでの活躍以上に、タッグチームやユニットしての実績で知られ、数々のタッグ王座を獲得しています。

ただ、アメリカの試合を見ていると、アンダーソン選手は、名参謀という立ち位置が多く、相手やパートナーをたてる試合が多かったように思います。
また、体を横に半回転しつつ繰り出す、ローリングスパインバスターですが、全盛期は弧を描きながら放つ場合が多かったのです。

アメリカでは今でもこの技を使うと「ダブルAばりのスパイン・バスター!」という表現が使われます。

アンダーソン選手は、いったんWWFで「ブレンバスターズ」として、ロッカーズあたりと抗争していたのですが、1989年末、WCWに復帰します。1990年1月には、グレート・ムタ選手からNWA世界TV王座を奪取するなどの活躍をしており、ドームの試合はアンダーソン選手の全盛期といってもいいでしょう。

アンダーソン事件

ただ、この2年後、いわゆる「アンダーソン事件」がおきてしまいます。アンダーソン事件とは、1993年10月28日、イギリス遠征中のホテル内でのラウンジでシッド・ビシャス選手の度重なるできそうもないホラ話を、アンダーソン選手が戒めたことによって、逆上したビシャス選手に、アンダーソン選手が、ハサミで、胸部や腹部など10数箇所を刺される大怪我を負わされた事件です。

事件の原因は、ビシャス選手がステロイド剤の使用で、情緒不安定になっており、自分の感情をコントロールできなかったことがわかっています。

このアンダーソン事件によって、WWFから復帰してきたフレアー選手と再結成したフォー・ホースメンは、解体を余儀なくされ、アンダーソン選手も1997年に首の故障で引退してしまったのでした。

引退後・・・

引退後はWCWのロード・エージェントを担当し、フレアー不在のフォー・ホースメンの指揮を執っていたこともあります。

2001年のWCW崩壊後はWWFに迎えられ、引き続きロード・エージェントとして活動し、近年も時折WWEの番組に出演することがあります。

2012年にはフレアー、タリー・ブランチャード、バリー・ウインダムおよびマネージャーのJ・J・ディロンと共に、フォー・ホースメンとしてWWE殿堂に迎えられました。

現在ではスパインバスターという技の使い手も、今はあまり見かけないので、誰かが継承してくれると嬉しく思います。

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