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[プロレス] 私的プロレススーパースター烈伝#65 サンダー杉山

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私的プロレススーパースター烈伝#65 サンダー杉山

猪木さんに次ぐ実力者

今回は、レスリングで1964年東京オリンピックに出場後、プロレスラーに転向し、現役引退後はタレント活動の他、実業家としても成功したサンダー杉山さんのお話です。

杉山さんは丸っこい体格から繰り出す雷電ドロップの印象が強くあります。そのため、パワフルでユーモラスなレスラーとみられることが多いのですが、アマレスで鍛えた素地は非常に高いレベルにあったといわれています。

ビル・ロビンソン選手は、自身が対戦した日本人レスラーの中で、アントニオ猪木さんに次ぐ実力者としています。

また、1968年にはルー・テーズさんのTWWA世界ヘビー級王座に挑戦し一本取っていますが、テーズさんは「杉山のテクニックには光るものがあった」「基礎のできたグッド・レスラー」と評価していたそうです。

本人としては二人目の

125 kgから130 kgの肥満型の体型でありながら動きはよく、ドロップキックやフライング・ヘッドシザース、ヘッドシザーズ・ホイップなども器用にこなしていました。
また、ヒロ・マツダさんに次ぐ、日本人としては二人目のジャーマン・スープレックス・ホールドの使い手でした。

サンダー杉山さんは2年で日プロを退団していますが、もともと、プロレスラーになったのは、米国に渡る人脈を築くためだったといいます。国際プロレス移籍後、海外武者修行のために渡米し、「トーキョー・ジョー」のリングネームでヒールとして北米を転戦します。

帰国後、1970年5月19日、日本人として初めて、リングアウト勝ちながらビル・ロビンソンを破り、IWA世界ヘビー級王座を獲得し、第2代王者となります。以降、国際プロレスの看板選手として活躍しました。

1971年4月20日には国際プロレス所属選手では2人目となる金網デスマッチに挑戦しています。一方で、『8時だョ!全員集合』など国際プロレス中継の放映局であったTBSの番組にゲスト出演しています。

この当時、まだ国際プロレスをみていなかった子ども時代の私は、杉山さんをタレントだと思いこんでいました。

ビジネスへの情熱

国際プロレス退団後は、馬場さんから声がかかり、杉山さんは1972年9月20日に全日本プロレスに円満移籍します。入団直後のジャンボ鶴田さんは、食事に頻繁に連れて行ってもらうなど、杉山さんによく可愛がられたそうです。しかし、扱いを巡ってジャイアント馬場社長と揉めて1976年3月末付で離脱、フリー宣言します。

1978年にはヒロ・マツダさんを総帥とする「狼軍団」の一員として新日本プロレスにも参戦し、プレ日本選手権に出場しました。

なお、プレ日本選手権の時点で、すでに事業で成功していた杉山さんは、無理にリングに上がる必要はなかったため、勝ちの予定でないとリングに上がらない、という約束で、プロレスを続けていたそうです。

フリー宣言後はタレント活動の後、飲食業や自動販売機の設置など、経営者として実業界でも大成功しました。

しかし、現役時代から患っていた持病の糖尿病が悪化し、肝臓病や胃癌も併発します。入退院を繰り返すようになり、右手首と両足の切断にも追い込まれました。しかし病室からメールで業務指示を出し、ビジネスへの情熱は最後まで衰えることはなかったそうです。

2002年11月22日、杉山さんは心不全により62歳でお亡くなりになられました。

目標を貫徹するため

サンダー杉山さんの生き方に特徴的なのは、まず自分の目標を持って、それに向かって進むということを生涯にわたって貫かれていました。

レスリングでオリンピックに出ても、それは“腰掛け”であるという考えはかえないし、国際プロレス時代にチャンピオンになっても、自分は事業をするから、という初期の目標を貫徹するために、あっさり引退しているくらいです。

その一方で、そのときどきの成り行きには逆らわず、日本プロレスをやめたあと、すぐに事業を始めたいのを少し我慢して、国際プロレスや全日本プロレスなどに誘われると、その団体のリングに上がっています。

自分にやりたいことがあるからといって、そこだけを見るのではなく、ビジネスは周囲の人達のご縁も必要だから、という見定めもあったのでしょう。

一方でプロレスも腰かけでやっていたので、小鉄さんとはそりが合わなかったのだと思われます。

繋がっていれば

杉山さんは、自分に強い信念があれば、そこでいったんはビジネスから遠ざかっても、いずれチャンスは来る、と考えていたそうです。結局、杉山さんのご縁を大切にする姿勢は、ビジネスを始めてから生きてきました。

喧嘩別れして何も残らないより、カツ丼を食べた方がいいし、人間関係は繋がっていれば、そのつながりをたどることで、自分が困ったときに、救いの手が差し伸べられる道筋になるかもしれない、という杉山さんの考え方は調べれば調べるほど深いなと思いました。

そこが、プロレスラーとして、タレントとして、実業家として成功したサンダー杉山さんの処世術の真骨頂だったのです。

-sekapro, [プロレス] 私的プロレススーパースター烈伝

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