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[プロレス] 私的プロレススーパースター烈伝#62 アントニオ猪木

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若手三羽烏

今回は燃える闘魂、アントニオ猪木選手のお話です。

猪木さんは、1960年4月11日、興行でサンパウロを訪れていた力道山選手から直接スカウトされて日本へ帰国し、日本プロレスに入団します。

同時期に入団したジャイアント馬場さん、大木金太郎さんと共に、日本プロレスの三羽烏と呼ばれます。

1966年3月、アメリカ修行を終え、ハワイにおいて、先輩の豊登さんに「日本プロレスに帰っても一生馬場の上には行けん」と口説かれ、日本プロレスから離脱し、帰国後の4月23日、東京プロレスに参加します、

異種格闘技路線

10月12日の旗揚げ戦でのジョニー・バレンタイン選手との試合で名声を得ますが、団体は崩壊し、日本プロレスに戻ります。再入団後は、馬場さんとのBI砲で活躍しますが、日本プロレス乗っ取りを画策したとされ、団体を追放されます。

1972年(昭和47年)1月26日に新日本プロレスを旗揚げします。当初はテレビ放送もなく苦しい経営でしたが、元国際プロレスのエースストロング小林選手との大物日本人対決、ビル・ロビンソン選手との実力世界一決定戦などで人気を博します。

IWGPの提唱

プロレスラーとしては新日本プロレスの創業や異種格闘技戦で活躍します。中でもプロボクシング統一世界ヘビー級チャンピオン、モハメド・アリ選手との一戦は世界各国に中継され話題を呼びました。

また80年代には、世界統一タイトルを目指しIWGPを立ち上げます。

1998年4月4日東京ドームにおける引退記念イベント「ファイナルイノキトーナメント」で行われた引退試合で、小川直也選手らと対戦し勝ち上がってきたドン・フライ選手と対戦します。

猪木さんは、グラウンド・コブラツイストで勝利し引退しました。

政界進出とその後

引退の際には「この道を行けばどうなるものか」で始まる「道」の詩を諳んじるスピーチを行ったのは、あまりに有名です。

のちに、政治家としては参議院議員(2期)、スポーツ平和党代表、次世代の党国民運動局長兼参議院政策調査会長、日本を元気にする会最高顧問、同代表などを歴任しています。

政界引退に前後して「息苦しさを感じるようになり、階段の上り下りに息切れするよう」になったため、2019年秋に診察を受けたところ「100万人に数人」の特定疾患とされる心アミロイドーシスに罹患していることが判明しており、その闘病の様子が動画で公開され、大きな反響を呼びました。

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