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[プロレス] 私的プロレススーパースター烈伝#55 葛西純

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プロレス入りまで

今回はデスマッチモンキーの異名を持ち、世界にその名を轟かせている葛西純選手のご紹介です。

葛西選手は、高校を卒業後上京し、都内で警備会社に就職。当時からプロレスラー志望ではあったものの、173cmという身長から「自分がプロレスラーになれるわけがない」と思い、警備会社で働き続けていました。

1995年に体調を崩した際に、「自分のやりたいことをやろう」と決意し、本格的にプロレスラーとしてのデビューに向けたトレーニングを始め、1998年に大日本プロレスに入団。同年8月23日の鶴見緑地花博公園広場大会でプロデビューしました。

不遇時代

2000年を前後に大日本プロレスとCZWとの抗争が勃興すると、これに際してCZW軍側に付き、『CZWジャパン』という連合を結成。そして渡米したうえでワイフビーター宅に下宿しつつCZWのマットを舞台に活躍し始めます。

2002年に大日本プロレスを退団し、フリーランスを経て、2003年にZERO-ONEに移籍します。

猿キャラで一般のプロレスファンからの知名度を得るが、コミックレスラーとしての面ばかりが強調され、試合内容もそのようなものが多くなりました、

さらに橋本真也の付き人を務めましたが!葛西選手とっては不遇の時代でした。

再びデスマッチへ

2005年、大日本の伊東竜二選手からの呼び掛けに応える形で、BJW認定デスマッチヘビー級王座を取るため、アパッチプロレス軍を通じて大日本プロレスに復帰します。

同年6月8日の大日本プロレスの大会でそれまで危険すぎるという理由で実現に至らなかったカミソリ十字架ボードデスマッチを、”黒天使”沼澤邪鬼戦で敢行。沼澤のパワーボムでボード上に叩きつけられ設置されたカミソリの形状そのままに背中から大出血を起こす事態を見せました。

試合後、沼澤に呼び掛ける形でキチガイタッグ「045邪猿気違’s(ゼロヨンゴ ジャンキーズ)」を結成。

伊東竜二のデスマッチヘビー級王座挑戦を表明していたが、10月下旬、内臓疾患のため、休養を余儀なくされ、長期の活動停止状態にあったが、2006年3月19日のアパッチ主催興行の有刺鉄線ボード6人タッグ戦で復帰。

FREEDAMS設立

その傍ら大日本プロレスにてデスマッチスクール「スクール・オブ・デス(狂気学校)」を開校し、その校長に就任。沼澤を教頭に、MEN’Sテイオーを理事長に指名し、第4世代デスマッチファイターの育成にも力を注ぎました。

アパッチプロレスに所属後、佐々木貴選手と組んで新たな団体『FREEDOMS』を設立。そして、かねてよりの念願であった伊東竜二とのシングル戦―『カミソリ十字架ボード+αデスマッチ』を11月20日の大日本プロレス後楽園ホール大会にて敢行。

超満員の観客を動員し、29分45秒という時間切れギリギリで勝利。試合後、年内の引退を考えていたが取り止める旨のマイクアピールを行い、現役続行の意思を表明しました。

意外な?才能

この試合が2009年プロレス大賞ベストバウトを受賞。デスマッチとしては19年振りの受賞になりました。

葛西純選手はイラストも得意です。警備員時代に、格闘技通信に投稿していた事もあり、当時は「サル・ザ・マン」というペンネームで、投稿常連として知られておりました。

プロレスラーとなってからも専門誌での連載のほか、グッズのデザインも手がけるなど、多彩な才能を発揮しています。

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『FREEDOMS vs がむしゃらプロレス 対抗戦』

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