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[プロレス] 私的プロレススーパースター烈伝㊷ディック・マードック

英才教育でプロ入り

今回は、スーパー・ロデオ・マシーンの異名で一世を風靡した、ディック・マードック選手のご紹介です。

マードック選手は、お父さんもプロレスラーだったことから、幼少期からレスリングの英才教育を受け1965年テキサス州アマリロの「ファンク道場」に入門しプロレス入りします。

直伝のブレーンバスター

キャリアを開始してからは、キラー・カール・コックスとタッグを組み、垂直落下式ブレーンバスターを伝授されています。オリジナル版を継承していたのは、マードック選手だけだといわれています。

10月にダスティ・ローデスとタッグチーム「テキサス・アウトローズ」を結成し、全米各地区を転戦し活躍しました。また、1971年7月、「チェーン・デスマッチの鬼」グレート・ボリス・マレンコとチェーン・デスマッチを行ったこともあります。

日本プロレスから全日本まで

日本には1968年の日本プロレス参戦を皮切りに、国際プロレスを経て、全日本プロレスにも参戦。

全日本では、覆面レスラー「ザ・トルネード」に変身しての対ザ・デストロイヤー・覆面十番勝負などがあります。

なお、覆面が結構気に入ったのか持ち前の茶目っ気故か、新日本プロレス時代にはアンドレ・ザ・ジャイアントがジャイアント・マシーンになったのを見て「俺もマシン軍団に混ぜてくれ」と言っていたそうです。

新日本常連へ

1981年に新日本プロレスに移籍。以降も常連レスラーとなり、猪木や藤波辰巳らと激闘を展開した。新日本時代はタッグで活躍し、日本勢を大いに苦しめました。

シングルでは1986年に猪木さんとIWGP優勝戦を争っています。

また、当時は幻とされていたローデスとのアウトローズも復活させファンの喝采を浴びています。

晩年

1989年にFMWに参戦し、以降1990年代の日本での活動はインディー団体を中心に転戦。アメリカではWCWでディック・スレーターとブルーカラー・ギミックの「ハード・ライナーズ」を結成しています。

晩年はテキサスのプロレス復興に取り組んでいましたが、その矢先の1996年6月15日に心臓麻痺により急死しました。49歳という若さでした。

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