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[プロレス] 私的プロレススーパースター烈伝㊴ブレット・ハート

デビューからジュニア時代

今回は、ヒットマンの異名で一世を風靡したブレット・ハート選手のご紹介です。

カナダ・カルガリー地区でスタンピードレスリングを主催していた、スチュ・ハートさんの六男として生まれたブレット選手は、高校時代はレスリングで活躍し、卒業後はハート家の地下に設置されている「ハート・ダンジョン」でミスター・サクラダさん、ミスター・ヒトさんのコーチを受け、1976年にプロレスラーとしてデビューします。

新日本には初代タイガーマスクのライバルとして度々来日しており、ジュニア戦線を盛り上げた立役者の一人でもあります。

WWF登場

1984年、WWFがスタンピード・レスリングを買収したことに伴い、ダイナマイト・キッド、デイビーボーイ・スミス、ジム・ナイドハート選手らと共にWWFと契約。

同年8月よりWWFマット登場を果たした。当初はカルガリー時代と同様ベビーフェイスのポジションでデビューしましたが、1985年に義兄のジム・ナイドハート選手(現在WWEで活躍するナタリア選手の実父)とヒールのタッグチーム、ハート・ファウンデーションを結成。

ヒールとしては、主にザ・ロッカーズ(ショーン・マイケルズ&マーティ・ジャネッティ)らと抗争を繰り広げます。のちにハート・ファウンデーションはベビーターンもして、ベビーフェイスとしても活躍しました。

シングル戦線

シングルプレーヤー転向後の1991年8月26日にはインターコンチネンタル王座を獲得。同年8月29日にイギリス・ウェンブリーで行われたサマースラム1992で義弟デイビーボーイスミス選手に敗れ王座を失いますが、この3試合は、名勝負の多いブレット選手のキャリアの中でも、特に評価が高いことで知られています。

ブレット選手自身も2006年のWWE殿堂入り式典で、デイビーボーイ戦は生涯最高の試合だったと語っています。また、タッグでもライバルだったショーン・マイケルズ選手とも多くの名勝負を残しました。

寂しい晩節

私もほぼリアルタイムでサマースラムをWOWOWで視聴していますが、感動で身体が震えたほど素晴らしい試合内容でした。

そんなブレット選手も、WWF退団→WCW移籍後はこれといった実績を残せず、結局、WCWを解雇という形で団体を去り、そのまま引退してしまいます。

新しい時代の到来に、自分を変えられなかった末路とはいえ、かつてのスーパースターとしては、あまりに寂しい晩節になってしまった事は残念でなりません。

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