*

[プロレス] 私的プロレススーパースター烈伝㉟ビンス・マクマホン

2020/09/17

シニアとの確執

今回は世界一のプロレス団体WWEのボス、ビンス・マクマホンのご紹介です。ビンスはプロレスラーではありませんが、一時期プロレスラーとして活動していたので、こちらでカウントしました。

ビンスの父親はニューヨーク地区のプロモーターだったビンス・マクマホン・シニアですが、両親が早くに離婚したため少年時代は母の下で過ごしたそうで、初めて父の名前と顔を知ったのは12歳の時だったらしいです。

1968年に大学卒業後、プロレス団体WWWF(後のWWF、現WWE)の親会社の社長だった父ビンス・シニアにレスリング・ビジネスを学び、リングアナウンサーやインタビュアー、あるいは実況担当者としてテレビ画面に登場し始めます。

1982年6月、父からWWFの親会社キャピタル・レスリング・コーポレーションの株式を分割契約で買い取って社長となり、新たに興行会社タイタン・スポーツを設立します。

全米侵攻へ

ビンスが、譲渡ではなく買い取りという形を取ったのは、父親との仲があまり良くなかったからだといわれています。

1984年からビンスは、ハルク・ホーガンとの二人三脚でWWFの全米進出を開始します。そしてWWFを世界最大のプロレス団体に育て上げました。

長年試合の実況を務めて社長としての顔を隠していたビンスですが、1998年以降のストーンコールド・スティーブ・オースチンとの抗争を機にWWEのオーナーとしてリングに立ってマイクパフォーマンスを見せるようになり、遂には自らが選手としてリングに上がるようになります。

現在も健在

ビンスはもともとはレスラー志望でしたが、父親に反対され実現しなかった経緯があるため、ある意味悲願成就だったわけです。このオースチンとの抗争がWWEの発展を決定付けたといっても過言ではありません。

以降も自らの派閥コーポレーションをヒールのユニットとして組織するなど団体のトップヒールとなって活躍しますが、実は当時ライバル団体だったWCWとのいわゆる「Monday Night Wars」の最中で、絶対にWCWに引き抜かれない存在が自分自身だけだったという状況から生まれた苦肉の策でもあったわけです。

こんな形で悲願が叶うというのも皮肉な話ですね。現在では時折姿をみせる程度ですが、ビンスの一声で覆る事項も多々あるなど、未だに健在ぶりを発揮しています。

-[プロレス] 私的プロレススーパースター烈伝, プロレスよありがとう!クレイジーでモンスターな好事家がマニアに捧げるメモリアルブログ

『FREEDOMS vs がむしゃらプロレス 対抗戦』