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[プロレス] 私的プロレススーパースター烈伝㉝越中詩郎

2020/09/15

全日本プロレス時代

今回は「ど演歌ファイター」の二つ名で知られる越中詩郎選手のご紹介です。

越中選手は、1978年7月に全日本プロレスに入門します。見習い期間中はジャンボ鶴田さんに練習を見てもらい、受け身を毎日500本近く取って、基礎の腕立て伏せやスクワットをこなしていました。

厳しい稽古でしたが、生涯の仕事と思って家族の反対を押し切って飛び込んだ以上やり切ることにしたといいます。

1979年3月5日、館山市民センターで園田一治を相手に公式戦デビューします。越中さんは、大仁田厚さんの後を継いで、馬場さんの付き人も務めています。

しかし、デビューしてからというものの脱走したいことが何度もあり、駅のホームで移動の電車を待つ際に東京に逃げ帰ったらどれだけ楽だろうかと考えることがしばしばであったそうです。

メキシコ遠征から新日本へ

越中さんは、鶴田さんが退寮した際に先輩の多くが海外遠征に行ってしまい、先輩達から寮をまとめてほしいと告げられ、体重100㎏に達したら海外遠征に行かせてやると馬場さんから約束されてそれに向かって精進します。

この時代、ザ・グレート・カブキさんからは試合展開の細かい組み立て方を教わり、佐藤昭雄さんからは若手が底上げして活性化するように発破を掛けられていました。

1981年8月、三沢光晴さんのデビュー戦の対戦相手を務め、以後三沢さんとのカードは「前座の黄金カード」と呼ばれ注目を集めていました。越中さんは1983年4月22日、ルー・テーズ杯争奪リーグ戦で三沢さんを破り優勝、1984年3月、メキシコへ遠征し、サムライ・シローの名で活躍します。

メキシコ遠征中はメインイベントを張らせてもらうなどレスラーとして破格の厚遇を得ていた越中さんでしたが、メキシコでは、移動手段、食事、リングコンディションは劣悪そのもので、シューズの真ん中に穴が開いていたり不衛生な飲み水で赤痢を起こしたりと散々な目に遭いました。

しかも、同じくメキシコ修行に出ていた三沢さんが2代目タイガーマスクとして、日本に呼び戻された事に強い危機感を抱いた越中さんは、1985年2月に坂口征二さんの誘いで、新日本プロレスが遠征を行っていたハワイに飛び、その際に新日本移籍を決意します。

新日本と全日本の違い

7月には、全日本プロレスを離脱し、新日本プロレスに押し掛け同然で移籍して帰国。8月1日の新日本両国国技館大会で入団挨拶を行いました。

なお、すぐに新日本に移籍せず、まず当時設立したばかりのプロモーションだったアジアプロレスに移籍して、そこから新日本に上がるという形を取っていました。

新日本プロレスと全日本プロレスの違いに関して越中さんは「全日は相撲部屋のような縦社会。新日は体育会系の部活のようなノリ」「馬場さんはガイジンと対等にぶつかり合う大きな体が必要と考えていたが、猪木さんは自分から攻めていくことを要求した」という趣旨の感想を述べています。

また、風呂に関しても在籍時代の全日は馬場さんが風呂から上がるまで他の選手は絶対に入浴できなかったのですが、新日は試合が終わった順番から入っていくことができ、立場が上のものが風呂から上がるのを待つという全日時代の癖が付いていた越中さんは猪木さんから「そんな汗かいて、ウロウロしてんじゃねぇ。早くシャワー浴びろ」と注意されたそうです。

名勝負数え歌~平成維震軍へ

越中さんは、1986年2月6日、IWGPジュニア王座決定リーグ戦の決勝でザ・コブラを破り、初代IWGPジュニアヘビー級王座を獲得します。その後、旧UWFから戻ってきた高田伸彦さんとジュニアベルトを争います。

高田さんのキックを愚直にも正面から受けるファイトスタイルはUWFびいきのファンからも支持を集め、一躍人気レスラーとなった。そのキックや関節技を主体とした攻めの高田さんと、「耐える美学」「人間サンドバッグ」とまでいわれた受けの越中さんのシングルマッチは「ジュニア版名勝負数え唄」と形容され、当時のプロレスファンの圧倒的な支持を得ました。

ヘビー級転向後は、青柳政司館長率いる誠心会館との抗争に関して小林邦昭と共に新日本プロレス選手会と対立しヒールに転向します。そして1992年7月31日、頭を剃り上げて反選手会同盟(のちの平成維震軍)を結成し、一躍中堅からトップ戦線へ躍り出ます。

1994年11月13日、東京ベイNKホールで平成維震軍旗揚げ戦を行い、越中選手はタイガー・ジェット・シン選手と対決しました。またこの時期、1995年のG1 CLIMAX初戦でIWGP王者(当時)武藤敬司選手を破るという実績も挙げています。

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