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[プロレス] 私的プロレススーパースター烈伝㉘柴田勝頼

2020/08/19

プロレスラーを目指して

今回はザ・レスラーの異名を持ち、新日本LA道場のコーチとしても活躍している柴田勝頼選手のご紹介です。

柴田選手は、三重県立桑名工業高等学校時代にレスリング部へ入部。このときに、後にプロレスラーとしてしのぎを削り、時には共闘することになる後藤洋央紀選手と初めて顔を合わせます。

1997年全国高校生グレコローマン選手権81kg級に出場、2回戦で中邑真輔選手に敗れています。ちょうど新日本とUWFインターの対抗戦が始まった頃であり、柴田選手は当時の若手陣の闘いに魅力を感じていたそうです。

ヤングライオン時代

1998年10月10日、対井上亘戦で正式にデビュー。ヤングライオン時代はジュニアヘビー級の路線に割って入り、IWGPジュニアタッグ王座に挑戦したことがあります。2002年4月、メキシコへ短期遠征するも、同年6月に目の治療により戦線を離脱。

11月に復帰し、2003年より魔界倶楽部入りし、魔界4号として活動、ファイトスタイルは蹴りを主体としたスタイルへと変貌し、以後はヘビー級レスラーとして活動をしていきます。

総合からプロレス復帰

2005年1月、新日本プロレスと3度の契約更改交渉を行うも決裂して1月31日付で退団。2007年3月1日、本格的に総合格闘大会HERO'Sへの参戦を表明。活躍の舞台を総合格闘技に移行させていきます。

しかし、2012年8月12日、新日本プロレスが主催するG1 CLIMAX最終戦、両国国技館大会にスーツ姿で登場。お面を被った桜庭と共に新日本に対して「ケンカ、売りにきました。」と宣戦布告とも言えるマイクアピールを行ってプロレス復帰します。

怪我からLA道場コーチへ

柴田選手は、2017年4月9日、SAKURA GENESIS 2017にてオカダと対戦し、38分を超える壮絶な打撃戦の末にレインメーカーに敗れ、バックステージに退場し、コメントブースに向かう途中で倒れ込んでしまい救急車で都内の病院に搬送されたのです。搬送先の病院での検査の結果、急性硬膜下血腫と診断され、10日未明に処置のための手術を受けました。

8月13日のG1 CLIMAX27優勝決定戦の休憩時間にリングに登場。ファンの大歓声に迎えられ若干目に涙を浮かべつつ「生きてます!以上!」とだけアピールしました。そして2018年3月に新日本プロレス・ロサンゼルス道場が新設されたことに伴い、柴田がヘッドコーチに就任し、指導を行いながら復帰を目指しています。

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