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[プロレス] 私的プロレススーパースター烈伝㉗斉藤彰俊

格闘三兄弟を経て

今回はプロレスリングノアで「反選手会同盟」を結成し、GHCヘビーにも挑戦し、気を吐くベテラン・斉藤彰俊選手のご紹介です。

彰俊選手は、大学研究生卒業後に準公務員になった後格闘家に転向。1989年のFMWの旗揚げ戦で空手の試合を行い、剛竜馬さんに誘われ1990年12月20日、愛知県半田市民ホールにおけるパイオニア戦志の大会で正式なプロレスデビューをします。

1991年8月にW★INGの旗揚げに参加。徳田光輝選手、故・木村浩一郎さんとともに「格闘3兄弟」として活躍するのですが、ほどなく第一次W★INGは崩壊。その後、W★INGから分裂して旗揚げを準備していたWMAの所属となるが、一度も興行を行うことなく、団体が崩壊しています。

新日本へ宣戦布告

1992年1月4日の新日本プロレス東京ドーム大会に誠心会館の門下生と徒党を組んで乗り込み、新日プロに宣戦布告。セコンドを両者数十人が取り囲む異常な雰囲気の中1月30日小林邦昭さんにTKO勝ち、週刊プロレスの表紙を飾りました。

その後現場監督だった長州さんに認められて新日プロに参戦し、青柳政司館長、小林さん、越中詩郎選手、木村健悟さんと反選手会同盟(後の平成維震軍)を結成するなど活躍します。

NOAH参戦、そして・・・

2000年10月にプロレスリング・ノアから声がかかり、以降はフリーの立場で継続参戦します。ノアでは長らくフリーの立場でしたが、ほぼ所属選手と同じ行動をしていました。ちなみに彰俊選手は2006年1月1日付で正式にノア所属選手となっています。

2009年6月13日、広島県立総合体育館グリーンアリーナ(小アリーナ)で行われたGHCタッグ王座選手権試合で王者として試合中、挑戦者の三沢光晴さんに急角度バックドロップをした際に、三沢さんが意識不明・心肺停止状態に陥って死亡するリング禍が発生しました。結果として齋藤は三沢の最後の対戦相手となってしまいます。

試合後、彰俊選手は三沢さんの遺影に向かって土下座し「どんな重い十字架でも背負う。リングに上がり続けることが社長への恩返し」として現役続行を決意し、現在に至っています。

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