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[プロレス] 私的プロレススーパースター烈伝㉕黒田哲広

2020/08/10

「最高」はキャラクター?

今回は「最高」のキャッチコピーで、FMW時代はハヤブサ選手と並んで、トップ選手として活躍した黒田哲広選手をご紹介します。

黒田選手は、SWSから派生したPWCに入門し、ミスター・ヒトさんの指導を受け、1993年3月18日にデビューを果たしました。

デビュー直後、同団体の行き詰まりから、デビュー戦の対戦相手でもあった保坂秀樹選手や。戸井マサル選手らと共に、FMWに移籍します。

FMWでは、大仁田厚が率いる「ZEN」の若手エースとして活躍後、ベビーフェイスとヒールを行き来しつつ、サングラスをかけてリングに登場する「最高」のキャラクターが人気を呼びました、FMW末期はハヤブサ選手との2枚看板になりました、

FMWでは若手のエースとして期待され、筋骨隆々の体にオールバックヘアー、細めの目が特徴。リングインの際はサングラスに「黒田3150(最高)」と書かれたバスタオルを下半身に巻きつけ登場する「最高」のキャラクターが人気に火を付けました。

次期エースの座も・・・

小柄ながらもスピーディーでパワフルなプロレスに魅了されました。特に大仁田厚が抜けた後のFMW時代において田中将人との戦いは次期エースの座を争う戦いで試合やストーリーも最高でした。

この頃は団体の垣根が高かったので、黒田選手がメジャー団体に上がる事はなかったですが実力は紛れもなくメジャー級でした。

もしその頃に現在みたいに垣根が低くかったなら、新日本プロレスのG1クライマックスにも参戦してたのではないでしょうか。

その後はWEW、ZERO-ONEアパッチプロレス軍などを主戦場としていました。

ZERO-ONEでは橋本真也さんに特に可愛がられておりいつもご飯を食べに連れて行ってもらっていたそうです。

ZERO-ONE版のG1クライマックス的な位置の火祭りにも参戦し決勝戦で団体エースである大谷晋二郎選手と一騎打ちの末破れはしたものの準優勝を飾りました。その後、あのハッスルにも参戦していました。

年棒1000万

ハッスルでは、有名格闘家のミルコ・クロコップ選手とも絡んだ事があるほど黒田哲広は重宝されていました。全盛期のこの頃の年俸は1000万円を超えていたそうです。

先程も書いたように、黒田選手の入場は、サングラスを掛け、パンプアップした上半身に黒田3150(最高)の柄のバスタオルを下半身に巻き付けてリングインします。試合中に自分のペースになるように観客に一緒に手拍子をしてもらったりと会場を味方につけるのがとても上手かったですね。

黒田選手が入場してくると、空気がガラッと変わってより盛り上がるので「さすがだな~」と思っていました。また、イケメンで女性からの人気も高く一時期は黒田最高のバスタオルを全面に掲げるおばさん軍団がリングサイド近くを陣取って熱狂的な応援をしていました。

黒田選手は、現在も現役ですが、FMWやZERO-ONEなどで見せていた躍動感溢れるプロレスを展開するというよりはベテランらしい円熟味のあるプロレスをしています。

もう二花くらいは

最近は、はぐれIGFインターナショナルやプロレスリング・シークレットベースなどのインディー団体に参戦していますがシングルのタイトル戦などには絡んでいません。

黒田哲広選手の全盛期はプロレス人気が落ち目の時期でしたが、インディー界においては欠かすことが出来ない存在でした。黒田と切磋琢磨した田中将斗選手は、その後ZERO-ONEや新日本プロレスで大活躍するほど上り詰めましたが、逆に黒田選手は、下降線を辿っていってしまった感があります。

田中選手には、メジャーを食ってやるという闘志を持ち続けたのに対し、黒田選手はどこかで現状維持で満足してしまったのではないのかな、と思います。FMW時代の二人の戦いを観たものにとっては、もっと上り詰めてもらいたかった選手ですね。

黒田哲広というレスラーは、それほど魅力の溢れる選手でした。まだまだ引退はしていないのでもう一花、もう二花咲かせてもらいたいものです。

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