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[プロレス] プロレススーパースター烈伝㉑秋山準

2020/07/21

ジャンボ鶴田二世

今回は全日本プロレスからDDTプロレスリングへ、レンタル移籍されたことで話題になった秋山準選手のご紹介です。

秋山選手は全日本入団当初から「ジャンボ鶴田二世」として期待され、在学中の1992年2月3日に全日本プロレス入団会見に出席。他の格闘技からの転向組を除く新人選手の会見が行われるのは、鶴田以来19年ぶりのことでした。

1992年9月17日、後楽園ホールのセミファイナル(45分1本勝負)・小橋健太戦でデビューします。他の若手は地方でひっそりと初リングを踏むことがほとんどであった中、異例の厚遇でした。

しかし秋山選手自身がようやく「できる」と感じるようになったのは1995年1月のアジアタッグ奪取前後だったそうです。小橋健太さんとのタッグチーム「バーニング」で活躍するなど、団体の看板レスラーの一人に成長し、王道プロレス時代の全日本に於いて、プロレス四天王と並ぶ五強と呼ばれました。

白主体へと一新

2000年7月、秋山選手は全日本集団離脱からプロレスリング・ノアへ移籍。以前はイメージカラーのブルーのショートタイツを身に付けていましたが、ノア移籍後は白主体へと一新しました。

全日本時代とは異なり、他団体との交流戦にも積極的に出場し、新日本プロレスの永田裕志選手と団体の垣根を越えた信頼関係を築き、2002年1月の新日本東京ドーム大会ではメインでGHCヘビー戦を行い、永田選手に勝利しました。2003年には新日本のG1クライマックスに参戦し決勝戦に進出するも、天山広吉選手に敗れました。

2012年12月、年内をもってノアとの専属契約満了退団が発表され、12月24日有明大会を最後に退団します。翌2013年7月5日、秋山選手を含むバーニングのメンバー5名が全日本プロレス入団を発表します。

DDTにレンタル移籍

2014年6月6日、新会社を設立し7月1日付けで社長に就任すると発表されました。その後新会社の社名が「オールジャパン・プロレスリング株式会社」と決まり、秋山選手は代表取締役社長に就任し, 7月1日より全日本の運営を引き受けました。

団体が軌道に乗ってきた2019年7月8日付けで社長職を退任し、取締役に留まりつつも、団体初のゼネラルマネージャーに就任し、現場に専念することとなりました。

2020年には、WWEパフォーマンスセンターのゲストコーチとして招聘されたことが発表されました。しかしながら、新型コロナウイルスの感染拡大により中止となってしまいます。

これを機にコンタクトをとってきたDDTの高木大社長の要請で、秋山選手はDDTプロレスリングのゲストコーチに就任し、リングでの存在感、指導力を評価され、DDT新宿フェイス大会において、年末までの予定でDDTにレンタル移籍することが正式発表され、秋山軍(仮)=準烈を結成して、DDTの空気をかえつつあります。

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