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[プロレス] 私的プロレススーパースター烈伝⑱バズ・ソイヤー

マッドドッグの異名通り

今回は狂犬と呼ばれたキャラクターと、豪快なパワースラムが印象深い"マッドドッグ" バズ・ソイヤー選手のご紹介です。

マッドドッグ(狂犬)の異名通り試合スタイルはラフファイトが中心で、戦いながら「ヒヒヒッ」という笑い声や奇妙な雄叫びをあげたり、対戦相手の尻に噛みついたりするなど異色のレスラーでもあったが、レスリングの下地を持つ試合巧者としても実績を残しました。

1979年、地元フロリダのNWA傘下団体CWFでプロレスラーとしてデビュー。その後もNWA圏を転戦してキャリアを積み、1982年は太平洋岸北西部のパシフィック・ノースウエスト地区にて実弟ブレット・ソイヤー(ブレット・ウェイン)とのタッグで活動します。

この時期までは主にベビーフェイスのポジションにいましたが、同年下期よりヒールに転向してジョージア・チャンピオンシップ・レスリングに参戦。ポール・エラリングさんのリージョン・オブ・ドゥームに加入し、トミー・リッチ選手とのNWAナショナル・ヘビー級王座を巡る抗争で名を馳せます。

初来日は全日本

1984年からはヒールのポジションに定着し、WWFにも参戦しましたが、短期間で離脱しています。その理由はおそらく大ベテランのマッドドッグ・バションが所属していたためではないかといわれています。

WWF離脱後の1984年10月には全日本プロレスに初来日していますが、活躍の機会には恵まれませんでした。しかし阿修羅原選手とシングルで対戦し、サイドスープレックスからフロントスープレックスでフォール勝ちという素晴らしいデビューを飾っています。

同年の世界最強タッグ決定リーグ戦にもワンマン・ギャング選手とのタッグで出場が予定されていたものの、直前に来日中止となり、結局全日本プロレスには一度限りの参戦となったのです。

三国対抗戦での活躍

1986年の下期よりテキサス州ダラスのWCWA(WCCW)に進出。1987年1月、全日本プロレスと新日本プロレスが来日をそれぞれ発表したが、最終的にはWCCWとの提携ルートで新日本プロレスにブレットを帯同して初参戦、兄弟タッグでアントニオ猪木&坂口征二の黄金コンビや藤原喜明&木戸修の旧UWFタッグとも対戦しました。

以降も新日本プロレスの常連外国人選手となり、ソビエト連邦のレッドブル軍団とはアマチュア時代のレスリング・スタイルで対決。藤波辰巳選手や武藤敬司選手とも好勝負を行い、レイジング・ブルことマニー・フェルナンデス選手とのタッグでも活躍しました。

得意技のパワースラムは、相手がロープから帰ってきたと同時に目にも止まらぬ速さで空中キャッチしての妙技は圧巻でした。パワー系のレスラーのそれとは全く異なり、下半身は残してひっくり返らないで腰を捻って上体で叩きつける進化した現代のプロレスでも誰も真似できないオリジナルでした。

日本では最初はイロモノ扱いでしたが、パワースラムを披露して注目を浴びてロシアのアマレス軍団に対抗するUSA軍の一角を占めるまでなりました。トップレスラーとは言い難いかもしれませんが興行には欠かせない外人軍団の2、3番手には必要不可欠の名レスラーでした。

しかし、1992年2月7日、ヘロインの過剰摂取により死去されました。32歳というあまりに若い死でした。

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