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[プロレス] 私的プロレススーパースター烈伝⑮大矢剛功

2020/06/17

地味だった新日本時代

今回はFMW時代にレスリングマスターとして鳴らした大矢剛功選手のご紹介です。大矢選手は、1985年に新日本プロレスに入門、1986年4月20日、対蝶野正洋戦でデビューしています。

ヤングライオン時代の大矢選手は、ドン荒川さんが開発した新技の実験台にされたりしていた感が強くあります。同期の片山明選手が片山ロケット(トペ・スイシーダ)で注目を集めるのとは対象的に、地味な若手というイメージでした。

大矢選手は、右腕の怪我で一年休場し、新日本よりいったん退団を言い渡されました。しかし、選手会の仲立ちで退団は撤回されたものの、その後すぐに反対の腕を怪我し、1989年ごろに退団していまいました。なお、新日本ラストマッチはTV中継されています。またヤングライオン時代、負傷した越中さんの代役で映画出演もしています。

その後スポーツインストラクターに転身したあと、1990年に設立されたSWSに入団してレスラー生活を再スタートさせました。

ストロングスタイルへの開眼

SWS崩壊後はNOWを経てFMWに移籍。ミスター・ポーゴさんの「W★ING同盟」に所属して、大仁田厚選手らとデスマッチ抗争を繰り広げました。

「新生FMW」では次第にデスマッチとは距離を置くようになり、原点である新日本在籍時に培った「ストロングスタイル」の戦いに活路を見出していきます。

決定打になったのは、ブラスナックル王座決定戦でハヤブサと激闘を演じ、自らのストロングスタイルの実力を知らしめると同時に、団体の「新生」を印象付けることに貢献した試合からでしょう。ストロングスタイルのイメージが強い大矢選手ですが、意外と遅咲きだったわけですね。

その後は正規軍にも加わるようになり若手レスラーの指導なども行い、このあたりからレスリングの実力を発揮する様になっています。

近年は北都プロレスをメインに出場しておりレスラーとして現役で活動中です。北都プロレスでの若手の練習内容は「当時の新日本プロレス」のそれであり、練習内容ではメジャーと対等な内容であると語っています。

なお、かつての本名は大矢健一でしたが、法的手続きを執り、本名も大矢剛功に変更しています。

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