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私的プロレススーパースター烈伝⑨ジョニー・スミス

2020/06/04

英国の寡黙な仕事人

今回は英国の寡黙な紳士・ジョニー・スミス選手のご紹介です。スミス選手は叔0父にあたるエドワード・ベトリーさんからレスリングを教わり、1982年1月にジュニア・ロイヤルのリングネームで16歳にてデビューしています。

1985年、エドワード・ベトリーさんとスチュ・ハートさんとの繋がりでカナダのカルガリー地区を転戦しています。この時期に同郷の先人ダイナマイト・キッド選手の教えを受けて、レスラーとしての基盤を作りました。さらにキッド選手のいとこでもある0デイビーボーイ・スミス選手とは、「プロレスの関係上では従兄弟である」という関係も生まれ、リングネームをジョン・スミスに改名しました。

1987年6月に新日本プロレスに初来日して、武藤敬司選手ともシングルマッチで戦っています。その後ダイナマイト・キッド選手の誘いで、1989年2月からは全日本プロレスのマットに登場。以後、ダイナマイト・キッド選手とのコンビ(ニュー・ブリティッシュ・ブルドッグス)やデイビーボーイ・スミス選手とのコンビなどで活躍しました。

ジョニーマジックの誕生

1991年4月6日にダイナマイト・キッド選手のパートナーとして小橋健太&菊地毅組を破り第54代アジアタッグ王座を獲得した。しかし一度も防衛を果たせず、4月20日の試合でカンナム・エクスプレス(ダグ・ファーナス&ダニー・クロファット組)に敗れて王座から陥落しました。

日本では当初、カナダで用いていたアメリカン・スタイルのレスリングをこなしていたが、1995年ごろからゲーリー・オブライト選手のアドバイスでイギリスで用いていたヨーロピアン・スタイルのレスリングへ転向しました。今までの全日本のリングでは見られなかった、「ジョニー・マジック」と呼ばれる独特のムーブが多数披露されるようになり、徐々に独自のポジションを築き上げていきます。

現在はセミリタイア

1999年11月、ベイダー選手のタッグパートナーとなり、世界最強タッグ決定リーグ戦へ参加。当初は異色のタッグと見られていたが、ベイダー選手のパワフルなファイトとスミスのテクニシャンぶりが融合を果たし、3位の好成績を残した。これがトップ戦線に躍り出るきっかけとなりました。

2000年に外国人レスラーに対しての評価が辛いと言われる三沢光晴さんが、スミス選手の実力を高く評価していたこともあり、ノアへの転籍・参戦を奨められ、参戦目前まで話が進んでいたものの、結局は全日本プロレスに残留することとなりました。このことを三沢は、後々まで相当に悔やんでいたそうです。

スミス選手は心臓に不安を抱えているためか、現在はセミリタイア中です。英国紳士として知られ、控えめな性格でもあったスミスは、ギャラアップの交渉など馬場に一切しなかった珍しい外国人選手でもあります。

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