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[プロレス] 私的プロレススーパースター烈伝④ミル・マスカラス

2020/05/29

千の顔を持つ男

今回はルチャリブレを代表するヘビー級ルチャドールの1人、ミル・マスカラス選手のご紹介です。マスカラス選手は世界で最も著名な覆面レスラーの1人として、華麗な空中殺法でアメリカ合衆国や日本でも人気を博しました。日本では「千の顔を持つ男」「仮面貴族」などのニックネームを持ち、ジグソーの「スカイ・ハイ」が入場テーマ曲に用いられています。

試合毎にマスクを変えることから "千の顔を持つ男" とも呼ばれました。「ミル・マスカラス」というリングネームはスペイン語で「千の仮面(マスク)」という意味です。日本では入場時に、試合用マスクの上から別のマスク(オーバーマスク)を更に被り、試合前にそのオーバーマスクを客席に投げてファンにプレゼントするパフォーマンスが人気を集めました。

また、全日本プロレス中継の視聴者プレゼント用にマスクを提供することもありました。別のマスクを被る時は顔を隠しながらアゴのあたりからスルッと(2枚のマスクで頭を包むようにして)被り直す特技もあり、絶対に素顔を晒さないことでも知られています。

夏の風物詩

マスカラス選手は、学生時代からレスリングとボディビルに打ち込み、レスリングではメキシコ代表として1964年東京オリンピックの候補にもなった[1]。ボディビルでは1962年にミスター・メキシコに輝きました。

1971年2月、日本プロレスの『ダイナミック・ビッグ・シリーズ』に初来日。来日第1戦となる2月19日の後楽園ホール大会において星野勘太郎選手をダイビング・ボディ・アタックで下し、センセーショナルな日本デビューを飾りました。3月2日には蔵前国技館にてスパイロス・アリオンと組み、ジャイアント馬場さん&アントニオ猪木さんのBI砲が保持していたインターナショナル・タッグ王座に挑戦、3月6日の前橋市大会では、猪木さんとの最初で最後のシングルマッチも行われました。

1973年10月からは全日本プロレスに参戦して、ジャンボ鶴田さんやザ・デストロイヤーさんとも好勝負を展開。1977年8月25日に田園コロシアムにて鶴田さんのUNヘビー級王座に挑戦した試合は、プロレス大賞の年間最高試合賞を受賞しました。1970年代後半から1980年代前半にかけては「サマー・アクション・シリーズ」など夏場のシリーズに例年参戦しており、ドス・カラス選手との兄弟コンビでの編隊飛行は全日本プロレスの「夏の風物詩」ともいわれました。

マスカラス選手は俳優としても活動しており、これまで20本以上の映画(ルチャシネマ)に出演している。日本では「愛と宿命のルチャ」がBOX東中野で公開され、TBSの深夜映画枠で「ミル・マスカラスの幻の美女とチャンピオン」が放映されたことがあります。

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