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[プロレス読書感想文] プロレススーパースター本列伝 「倒産!FMW カリスマ・インディー・プロレスはこうして潰滅した」

大仁田FMWから新生FMWへ

今回はちょっと気が重いのですが、FMW元社長、荒井昌一さんが2002年に遺された「倒産!FMW カリスマ・インディー・プロレスはこうして潰滅した」をご紹介します。「倒産!FMW」が出たときはちょうどプロレス界全体が低迷期にあり、いわる「冬の時代」にありました。対して新興の格闘技イベントであるPRIDEやK-1が台頭し、業界最大手の新日本プロレスですら迷走していた時代でした。

当然ですが、インディー団体はもっと苦境に立っていました。FMWというのは、全日本プロレスをケガで引退→退団した大仁田厚選手がわずか5万円の資金で設立した団体で、日本におけるインディー団体の草分け的存在であり、日本で初めてミックスファイトと女子選手による単独興行も手がける男女混合プロレス団体として産声をあげました。当初は、フロンティア・マーシャルアーツ・レスリングの名前通り、様々な格闘家がプロレスルールで闘うというスタイルでしたが、やがてデスマッチ路線に進出し、世界のハードコア・レスリングの先駆的存在になりました。後にアメリカで隆盛を極めたECWもこの系列に含まれます。

しかし、大仁田選手が1995年5月5日、川崎球場大会で引退試合を行い、引退後、社長を退任しFMWと無関係になりました。実はこの大仁田厚引退ツアーと、引退試合は生観戦しています。川崎球場というのは、当時熱心な近鉄バファローズのファンだった私にとっても、一度は訪れてみたい場所でした。既に野球場ではなくなっていたものの、解体前の大阪球場(江夏の21球の舞台)にも脚を運んでいた私にとって、正直大仁田引退以上に川崎球場へ赴くことは大切なことでした。なんとなくですが、全日を退団してからの大仁田選手の行動を見るにつけ、大仁田引退というのをあまり真に受けていなかったというのもありましたし。

さて、残されたFMWメンバーの受け皿として、新たに運営会社が設立され、社長には旗揚げ当時リングアナウンサーだった荒井昌一さんが就任したわけです。それがいわゆる「新生FMW」でした。「大仁田がいなければFMWは3ヶ月で潰れる」というような声をよそにFMWは持ちこたえます。1995年5月28日、駒沢オリンピック公園体育館大会を皮切りにハヤブサを中心に金村ゆきひろ、田中正人、工藤めぐみ、ザ・グラジエーターらの若い力がリングに活力を蘇らせて、ハードコアスタイルと呼ばれる激しい戦いが高い支持を得たのです。

大仁田引退から1年後の1996年5月5日、ハヤブサ&田中組対テリー・ファンク&ポーゴ組をメインイベントに川崎球場大会のビッグマッチを成功させます。しかし、もう1度スポットライトを浴びたいと願う大仁田さんは復帰を画策します。宿敵ミスター・ポーゴさんを引退させてポーゴさんの最後の願いとして、大仁田さんとのタッグ結成をファンに乞うというアングルで1996年12月11日、駒沢オリンピック公園体育館大会で強引に復帰してしまうのです。

荒井さんにとって大仁田選手というのは、団体の創業者であるだけでなく、介護のあり方に疑問を持って介護業界を離職した自分を、小学校時代から憧れる世界だったプロレス業界に引き入れてくれた恩人でもあったわけです。

エンターテインメント路線へ

しかし、この創業者の横槍と大仁田復権が結果的に荒井さんの首を締めていく事になっていくのです。この頃からハヤブサ、金村、田中ら若い世代へ期待する路線と創始者の大仁田への回帰路線という2つの方向性がリングでも交差するようになるのですが、会社内でも大仁田さんの力が日増しに大きくなっていったのです。

しかし、1993年に「3年3億円」というテレビ放映契約を、ディレクトリ TVと結んだFMWは制作費の提供を受けてグレードアップしたエンターテイメント路線を走り始めます。これを背景に荒井社長と所属選手が一丸になって大仁田さんに対して撤退を要求します。その結果1998年11月大仁田さんはFMWを離れることになりました。

1999年5月、FMWはアクの強いエンターテイメント路線にシフトチェンジを行います。1999年に入り、天龍源一郎さん率いるWARを退団した、冬木弘道さんがコミッショナー兼現場責任者として実権を握り、エンターテインメント路線は拡大していきます。こうして好調であるかに見えたFMWでしたが、1999年11月23日、横浜アリーナ大会の興行失敗からFMWの経営状態は一気に悪化していくのてます。

さらに2000年3月、ディレクTVが業績不振のため日本での事業停止してスカイパーフェクTV!へ事実上統合になり、FMWの放送も引き継がれる事に放映権料は大幅に下げられることとなり経営悪化は一気に拍車がかかった状況となりました。

更に悪い事は重なっていきます。2001年10月22日、ハヤブサ選手が後楽園ホール大会での試合中の事故により頸椎を損傷して長期欠場を余儀なくされます。この看板選手の欠場は経営基盤の弱いFMWには致命傷になりました。こうしてFMWの危機は一般のファンにも明らかとなるわけです。

2002年2月FMWは、事実上倒産します。経営不振の中で荒井社長は、たった1人で金融業者28社から3000万円を借り入れていたそうです。実際に赤字続きで首が回らなくなった際にもちゃんと所属選手にはギャランティーが支払われていたそうです。2002年5月16日、荒井社長は、生家近くの公園で首吊り自殺し、この世を去ります。

いくら好きなことだとしても

このように、最大のインディー団体は社長の自殺という最悪の終焉を迎えました。この事件は「乱立するインディー団体へのメッセージ」として安易に旗揚げできるインディー団体に対しての警鐘にもなったわけです。

私は初めてFMWを観戦した時に未だに忘れがたい光景を記憶しています。それは大会開始前、まだ社長になる前の荒井リングアナが、リング下から四方のお客さんに向けて、腰が直角に曲がるほど深々とお辞儀をしていた場面です。

通常、前説などをリングアナが担当する場合、リング上から行うのが常です。これは私の想像でしかありませんが、プロレスラーが上がる神聖なリングに「プロレスラーでないものが、土足で入ることなど許されない」と荒井さんは考えていたのかもしれません。

このあたりは私も共通する認識があるため、非常に共感ができるわけです。しかし、同時にこの生真面目な考え方が社長になった時に、荒井さんを苦しめたのではないか?と私は思うわけです。私はリングを降りればプロレスラーもそうでない人も同じ人間である、と考えています。しかし、おそらく荒井さんはそうではなかったのでしょう。ご承知の通り大仁田厚という人はお山の大将で、基本的に自由人です。

正直、荒井さんの訃報を聞き、「倒産!FMW カリスマ・インディー・プロレスはこうして潰滅した」が発売になった折、私はFMWをこういう風にした大仁田厚という人を許せない、という気分でいっぱいでした。それは今も基本的には変わってはいません。だから発売当初、私はこの本を読むことができませんでした。

しかし、最近読み返してみて、荒井さんの書かれた文章に登場する大仁田厚という人はガキ大将をそのまま大きくしたような感じがしたのです。確かに大仁田さんがやってきた事は許されないこともたくさんあります。昔ながらのプロレスラーというのは、多かれ少なかれ常人の枠内には収まりきれないスケールや考え方を持っているものです。そのプロレスラーに対峙し、パートナーとしてビジネスをやっていくにあたり、荒井さんはあまりに真面目で一般人すぎたのではないか?と私は思っています。

実際、荒井さんが自殺する直前に関係各位に対して「ご迷惑をおかけしてすいません」という書簡を送っていたそうです。いくら好きなことだとしても、それを仕事にする事は果たして幸せな事なのかどうか?私は荒井さんのような方はプロレスに関わるべきではなかったと思っています。プロレス側にいながら、プロレス愛に溢れすぎていた荒井社長の悲劇は、二度と繰り返してはならないのです。

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