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[プロレスコラム] プロレス想い出回想録 さよなら博多スターレーン 新日本プロレス編

剛竜馬の片思い

博多スターレーンを聖地としていた馬場全日本と比べると、新日本プロレスと博多スターレーンの関係性はそれほど濃いものではありません。しかしながら、私の中ではどうしても触れておきたい試合があるので、今回はその試合のためだけに、この記事を書いています。

それは1990年12月に行われたパイオニア軍団対新日本プロレスの対抗戦として組まれた藤波辰爾対剛竜馬戦です。剛竜馬さんは、ジュニア時代に藤波さんからベルトも奪取した実績があり、インディーマットに「下野」してからも、剛さんはずっと藤波さんをライバル視してきました。

しかし、パイオニア旗揚げ戦で、原来の身体の硬さに加えて、練習不足を露呈させた剛さんのコンディションを藤波さんに酷評されてから、このライバル関係は「剛竜馬の片思い」に変化していきました。

確かに新日本プロレスに乗り込んできたパイオニア軍団は5月4日の緒戦(剛竜馬&高杉正彦対長州力&佐々木健介)で勝利したものの、試合内容では、練習不足で主に高杉さんが試合中にグロッキーになる場面も目立ち、またもや藤波さんに内容を酷評され、マッチメーカーの長州さんからも冷遇されたのでした。

ところが、それでもめげない剛さんは、10月の移動中の交通事故を乗り越えて、12月にはヘビー級転向後の藤波さんと念願のシングル再戦(敗者追放マッチ)に漕ぎ着けます。週刊ゴングの直前インタビューで剛は「俺にはプロレスしかないから。プロレス無しでは生きて行けない、プロレス馬鹿ですよ」と語っていましたし、ここにこぎつけるまでの執念は正直胸を打つものがありました。

冷淡だったドラゴン

ですが、普段なら相手の良いところを引き出すスタイルの藤波さんは、練習不足の相手にみせるキラー・ドラゴンモードでリングに上がってきました。当然意気込む剛さんとは目も合わせません。しかも、交通事故のこともあり、またしても剛さんのコンディションは明らかに見ていてよくはなかったと思いますが、相手のコンディションが悪ければ悪いなりに試合を組み立てるドラゴンが、剛さんに対してはあまりに冷淡だったのです。

試合は噛み合わないまま、剛さんの意気込みだけが空回りしているように、私にはみえました。後で録画したテレビ中継では、実況の辻アナから「プロレスバカというより、プロレスカバ」とまで揶揄されていて、一層悲しい気持ちになったことは、未だに忘れられません。あんなに噛み合わなくて、あんなに空回りして、あんなに切なくて哀しいプロレスの試合は、今後もそうそうお目にはかかれないでしょう。

ちなみにこの試合は、藤波さんがジャンピング・エルボー・バットで剛さんを沈めました。これ以降、藤波対剛戦は二度と実現することはありませんでした。ジュニアでは名勝負を奏でた両雄でしたが、ヘビー級時代には大きな開きが生まれてしまっていたからです。

ところが、転んでもタダでは起きないのが、剛竜馬という選手です。後年プロレスバカのフレーズで再ブレイクした剛さんは、大仁田選手とは違うインディー路線をひた走ります。90年代に一斉を風靡した、プロレス&格闘技バラエティー番組「リングの魂」にも、数回連続で出演。1994年は、これらのムーブメントの余勢を駆って平成維震軍旗揚げ戦のメイン(越中対シン)に乱入しマイクアピールを行ったり、現役復帰したアニマル浜口さんとのタッグでWARにも出陣してリング内外で「気合ダー!」、「ショア!」 の応酬を展開しました。

剛ブームの栄華と転落

博多スターレーンではありませんが、私もWARで組まれた剛&浜口組の試合を見ています。場所は大阪府立体育館第一競技場(現・エディオンアリーナ)。試合内容よりも試合後に、ファンを連れて「気合いだー!」「ショア!」と交互に連呼しながら、アリーナを何周も走り回っていました。あんな光景を見たのは、後にも先にもこの時だけ、ですね。

剛さんは、身体も硬かったのですが、人間関係も硬かったため、フリーランスになってからは、全日本だけでなく、自身が旗揚げしたパイオニアや、オリエンタルプロレスなども「追放」になっていました。かつてのライバル・藤波辰爾だけが剛さんに冷たかったわけではなかったのです。

そんな中で、国際プロレスの先輩でもあったアニマル浜口さんだけが、剛さんに救いの手を差し伸べたのでした。こうして剛さんは、久方ぶりにその存在を印象付け、浜口さんと剛さんとのタッグは、リングアナウンサーから「リンたまタッグ」と呼ばれたこともありました。

プロレスバカブームがピークにきたのが、1995年4月2日に週刊プロレスの発行元「ベースボールマガジン社」が主催した、東京ドームでのオールスター興行「夢の懸け橋〜憧夢春爛漫〜」の第4試合に参戦した際には、6万人の観客席から「ショア!」、「バカ!」、「1,2,3,4,剛!」の掛け声が鳴り響き、レスラー人生の絶頂を極めたのでした。ですが、数々のトラブルは剛さんをマットからまたしても遠ざけてしまいます。そのうえ最後まで面倒をみようとした、国際プロレスの同士・鶴見五郎さんにも不義理を働いてしまいます。

映画「レスラー」と剛竜馬

2009年10月7日、剛さんは、自転車を運転中にまたしても交通事故に遭います。しかし、交通事故の際、開放骨折した右手首の傷口から細菌が入り込み、アルコール性肝障害による体力低下も重なって、全身に感染し、そのまま敗血症でお亡くなりになられてしまいました。

剛さんの訃報を聞いたすぐあとに、私はミッキー・ローク主演の映画「レスラー」を観に行っています。単なる偶然ではあったのですが、ミッキー・ロークの姿についつい剛竜馬の陰を重ねてみてしまい、胸が締め付けられる思いでいっぱいになりました。

余談ですが、ミッキー・ロークが演じた主人公は、一説によるとハルク・ホーガンがモデルになっていたそうです。ホーガン選手は、映画「ロッキー3」に出演して以降、Real Americanを使うまでは、サバイバーの「Eye Of The Tiger」を入場テーマ曲にしていました。

この曲は、剛さんが第1次UWFに所属していた際、同曲を入場テーマ曲にしていたスーパー・タイガー(佐山サトル)選手から、譲り受けたという経緯があります。ホーガンと同じ曲を入場テーマ曲にしていた因縁も、私は知った上で映画「レスラー」を鑑賞したので、余計に剛竜馬の悲哀を作品から感じ取ってしまったのかもしれません。

博多スターレーンにはたくさんの楽しい想い出がありますが、この試合だけは剛さんが亡くなられた今も、胸に刺さった棘のように、時折思い出してしまう、哀しくて切なくて、やりきれない試合なのです。





 

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