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[プロレスコラム] プロレス想い出回想録 さよなら博多スターレーン 全日本プロレス編

2019/03/08

スターレーンの新たなる盟主

ユニバーサルプロレスなきあと、スターレーンの「盟主」に躍り出たのが馬場全日本でした。折しも時代は四天王プロレス全盛期に突入していく過渡期にあり、鶴田軍と三沢光晴率いる超世代軍との抗争は、熾烈を極めていました。

今やすっかり全日本のキャッチフレーズになった「明るく、楽しく、激しく」は、この時代に誕生したものです。それまでの全日本は、ファンがスポンサーだなどという態度をみせたこともなかったし、ファンを含めたファミリー感を打ち出した90年代の馬場全日本は、それまでとは全く違う団体みたいな雰囲気ではありました。

そうそう、山笠の時期に全日本がサマーアクションシリーズを定期開催するようになったのも、90年代からでした。意外かもしれませんが、選択肢が全日本か新日本かしかなかった時代、こちらの地方で夏場にプロレスがやってくる、というのは極めて稀でした。

私が博多にプロレス観戦しにいくようになったのは、大人になってからでしたから、全日本プロレス夏場の風物詩だったミル・マスカラスの試合をはじめてみたのは、実をいうとWARでしたし、マスカラス&ドスカラスの兄弟がサマーアクションシリーズに来日した試合を、山口県で見たのは、武藤全日本時代になってからでした。ですから、山笠の時期になるとスターレーンに全日本がきている、という私のイメージも90年代に培われたものだったのです。

さて、四天王プロレス時代の後年はWWF(現・WWE)の外国人選手囲い込みもあり、全日本プロレスの常連外国人選手の顔触れは固定されていくわけですが、90年代初頭は、日米レスリングサミットの影響もあり、WWFと全日本の関係は比較的良好でした。

本物の足四の字!

レスリングサミットを機に本格始動した、ジャイアント馬場&アンドレ・ザ・ジャイアントという大巨人タッグの試合も、スターレーンで見て強烈な印象が残っています。晩年のアンドレは、歩行も困難なくらい衰えが目立っていましたが、それでもプロレス界屈指のクレバーさで、試合はキチンと成り立たせていました。秋山準(現・全日本プロレス社長)がはじめて博多スターレーンで試合したカード(アンドレ&ラッシャー木村&秋山 対 大熊元司&永源遙&泉田竜角)でもアンドレはしっかり絡んで、永源のつば攻撃をしっかりアシストしていました。

また、後にWWFにも行くダイナマイト・キッド&デイビーボーイ・スミスが、2代目タイガーマスクだった三沢光晴と、川田利明の超世代軍チームとバチバチ渡り合った試合も記憶に残っています。

また、先に書いたように熾烈な闘いを繰り広げていた鶴田軍対超世代軍のタッグマッチで、それまで負けてばかりだった小兵の菊地毅が、自力で勝利した試合で、スターレーンが地鳴りのような音に包まれたのも鮮烈な思い出として刻まれています。

そんな中で、私がとりあげたい試合が二つあります。一つは「さよならデストロイヤーシリーズ」の、ザ・デストロイヤー対大森隆男戦。

当時は大森選手というと、新人枠から中堅枠に移行しかかっている時期だったと記憶しています。考えてみたら90年代はまだプロレス界にレジェンド枠という概念すらなかった時代です。そんな時分に力道山とも対戦経験がある選手の試合が見られるなんてことは奇跡に近かったとも言えます。

ALL TOGHETERの際に久々来日したデストロイヤーは、息子のカートに支えられてリングインするくらい足腰が弱っていましたが、さよならシリーズで試合していた頃は、若い大森に負けず劣らずのキビキビした動きをみせて、最後は伝家の宝刀、足4の字固めでギブアップ勝ちしています。今にして思えば懐かしい思い出です。

スターレーンに拘ったおかげで

 

もっとも、新日本旗揚げ期に猪木&坂口組と対戦しているルー・テーズさんは当時50代でしたし、グレーテスト18創設時に、蝶野正洋選手と対戦した時点では70代でした。

翻ってデストロイヤー選手の引退時は、確かまだ60代前後だったと記憶しています。馬場さんが亡くなったのが、61歳。猪木さんが引退したのが、55歳の時でしたから、今考えると別段おかしくもなんともなかったのですが、なんか格別なものを感じたことを覚えています。

もう一つは、多分同じ時期に見たドリーファンク・ジュニア対ジョー・ディートン戦です。これも地方あるあるなんですが、外国人選手同士のシングルマッチというのは、地方では大変珍しかったのです。

昔のオープン選手権とかでみるドリーは、実に味わい深いレスリングを披露してくれていますが、全盛期を過ぎたとはいえ、プロレスの教科書のような試合を見せていただけたことは眼福だったとしかいいようがないですね。

ドリー選手にもデストロイヤー選手同様、伝家の宝刀があります。それは今もなおフィニッシャーにしているスピニング・トーホールドなんですが、この試合で、なぜかドリー選手は、相手の上半身攻めに終始。時折、足攻撃を混ぜつつ、お客さんの意識もディートン選手の意識も、完全に上半身に集中しているタイミングからの、効果的に決めたスピニング・トーホールドで鮮やかなギブアップ勝ちをおさめたのです。

一点集中攻撃はプロレスの基本セオリーですし、一箇所だけ狙われれば、相手も警戒します。しかし、ドリー選手はそんなディートン選手の心理を読み解き、二手先、三手先の攻めをみせていたわけです。まさに一本とられた!としかいいようのない内容で、私の脳裏には今もなおこの試合が鮮烈に焼き付いているのです。

今回は全日本における私的ベストバウトを選んでみましたが、四天王全盛期は入りきれないくらいお客さんがいて、酸欠になりそうになった想い出もあります。正直、福岡国際センターに移ればいいのに、と当時は何度も思っていました。

しかし、今にして思うと、馬場さんが頑なに博多スターレーンにこだわってくれたおかげで、国際センターでは味わえないたくさんの思い出が残りました。それについてはもう、ただただ感謝しかないですね。

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