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[プロレス入場テーマ曲] プロレス的音楽徒然草 ライディーン

2018/10/27

実際はバリバリのアメリカ人

今回はNWAやWWFなどで活躍した南海の黒豹・リッキー・スティムボート選手が、全日本時代に使用していたYMOの「ライディーン」をご紹介します。

私は、生では観戦もしくは観覧したことはありませんが、映像や音声でリッキー選手の試合や、YMOをリアルタイムで体感してきた世代ですので、どちらからも話すことができます。ここでは主にリッキー選手の入場テーマ曲としてのライディーンを語っていきましょう。

父親がポーランド系英国人、母親が日本人というリッキー選手はその顔立ちから、日本では日本人寄り、アメリカでは大雑把にアジア寄りでくくられていたように思います。実際はバリバリのアメリカ人(ニューヨーク州ウェストポイント生まれ、フロリダ州タンパ出身)なんですがね。

ちなみにアメリカでは南海の黒豹ではなく、「ザ・ドラゴン」(当然、出自はブルース・リー)という二つ名で活躍しました。でもリッキー選手は、強いてカンフーとの共通点をあげるなら、水平チョップを得意としていたくらいで、空手流の蹴りも使いませんでしたから、個人的には「南海の黒豹」の異名の方がしっくりきています。

アメリカでは当初、コモドオオトカゲを檻に入れて入場していましたが、WWFの頃にはみずからがドラゴンの仮装もしていました。最もWCW時代は火を噴くギミックが不評を買いました。WCWなどでライバルだった、故・リック・ルードは「元NWA世界王者にあんな真似をさせるなんて」と非難していたほどです。

オリジナルがそのまま

さて、全日本プロレスではテーマ曲にいろんなアレンジを加えるケースが多々あります。スタン・ハンセン選手のサンライズなどはその典型ですし、ブルーザー・ブロディ選手の移民の歌は、レッドツェッペリンのオリジナル(こちらは新日本時代に使用)ではなく、カバー版が使われていました。

ところがライディーンの場合、意外にもオリジナルがそのまま使われていました。ライディーン自体が大ヒットした曲(最高位オリコン15位)でしたし、こういうケースは当時のプロレス界では珍しかったですね。

大ヒットした楽曲といえば、ミル・マスカラスの「スカイ・ハイ」がありますが、入場バージョンはジグゾーのアルバムに収録されているオリジナル版ではなく、映画で使われたイントロの長いバージョンでしたから、ライディーンのようにオリジナルがそのまま使われていたことが非常に珍しかったわけです。

リッキー選手が活躍していた頃はまだ外国人選手=悪役というイメージが強くありました。ですのでザ・ファンクスやザ・デストロイヤー選手らが日本側につくケースはごく稀でもありました。

そもそもNWA世界王者というのは、一部の例外を除けば悪役が就くケースが多かったのです。チャンピオンはNWA加盟のテリトリーをサーキットし、地元のベビーフェイス相手に防衛戦を行い、相手の良いところを引き出して防衛するというのが仕事でした。日本ではベビーフェイスだったファンクスもアメリカではヒールでしたから、NWA世界王者として悪役の仕事をこなしてました。

ですが、リッキー選手はアメリカでも日本でもベビーフェイスでした。アメリカではリック・フレアーがヒール王者として君臨しており、リッキー選手はそのライバルでした。そのせいか、NWA世界王者として来日したりすると、今までのフレアーやレイスとは違う感じがして、私的にはしっくりきませんでした。

アメリカでの試合をみると

ただし、ベビーフェイスだからといって技術的に劣っていたわけではなく、アメリカではフレアーやマッチョマン・ランディ・サベージらと数々の名勝負を繰り広げています。特にレッスルマニアIIIで行われたサベージとのインターコンチネンタル戦は、アメリカでも伝説に残る一戦と言われており、この試合をみてクリス・ジェリコがプロレスラーを志した事でも有名です。

しかし、日本人とはなぜかこれといっていい試合をした記憶がないのです。全日本プロレス中継では「母国が日本」と紹介されたこともあり、その割にはファンクスやデストロイヤーのように、日本サイドについて闘うこともなかったので、私は見る側がリッキー選手の立ち位置をどう捉えていいのかわからなかったからではないか、と推察しています。

なお、WCW在籍時の1990年9月に新日本プロレスに初参戦し、横浜アリーナでグレート・ムタと対戦しています。このときの入場テーマ曲にはYMOの「東風(Tong Poo)」が使われました。ムタは極悪殺法を主体にしていましたが、日本ではダークサイドヒーロー的なとらえられ方をされていました。したがってアメリカのムタとも微妙に異なるため、ムタ対スティムボートの内容もWCW直輸入という訳にはいかなかったようです。

実際、WCW時代のスティーブ・オースチンをヒールとして引っ張り上げたのは、リッキー・スティムボートである事に異論はありません。アメリカでの試合をみると、リッキー・スティムボートという選手の実力が嫌というほどわかるでしょう。

今でもWWEのダークマッチでリングにあがることもあるリッキー選手は、とてもレジェンドとは思えない動きを維持しており、後進の指導の一環でハウス・ショーではテストマッチとして若手相手に試合を行なっているそうです。2018年現在RAWで活躍するドリュー・マッキンタイア選手はリッキー選手のテストマッチを長く受けていたことで知られています。いつかまた日本でも試合を見てみたいものですね。

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