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プロレスよありがとう!クレイジーでモンスターな好事家がマニアに捧げるメモリアルブログ(54) モンスター的プロレスコラムその41 ファッションと真剣勝負

デザインだけで親しく話せる

先日とあるお店に行った時のことです。私が着ていたBALLET CLUBバージョンのCodyTシャツを見て、男性の店員さんが話しかけてきました。「プロレスお好きなんですか?」と。

プロレスを知らない人が見ると、このCodyTシャツは普通のTシャツに見えますが、見る人が見ると、どの団体のどのユニットの誰を応援しているかが一目でわかるという仕組みになっています。こうしたことは割とあって、はじめてあった人と、Tシャツのデザインだけで親しくお話ができるという事も多くあります。これってなかなか優秀なコミュニケーションツールではないかなと思った次第なのです。

特に最近のプロレス会場に行くと、ユニットやチーム、あるいは団体オフィシャルのTシャツを着て観戦に訪れているお客さんを多く見かけます。くだんの店員さんもレスリングどんたくを2日とも観に行ったといってましたし、おそらく彼もOFFの日には私と同じような格好をして観戦にいっていたのかもしれません。

一時期はK-1やPRIDEでも選手の公式グッズを身にまとった観客を多く見かけましたが、これは運営サイドがプロレスから盗めるところを最大限に盗んでいいいとこどりをした結果だと思います。いいとこどりという言い方に語弊があるなら「企業努力」と言い換えてもいいでしょう。

もっとも昭和の時代にはこんな光景はまずお目にかかれませんでした。せいぜい新日本の会場で、稀にライオンマーク入り闘魂Tシャツ、あるいは外国人エースだったハルク・ホーガンの一番Tシャツを着た男性を、たまに見かける程度でした。

真剣勝負信仰の負の部分

潮目が変わったのは、プロレス界ならnWoでしょう。しかし、日本でいうなら、その前にJリーグのサポーターがもたらした「ファッション革命」があったと私は思っています。それはズバリ贔屓のチームのユニフォームもしくは公式グッズを身にまとって観戦するというスタイルです。

「そんなの当たり前じゃないか」とあなたは思うかもしれません。しかし、昔のプロレスの映像を見ると客席は実に地味です。プロレスに限らず、プロ野球もボクシングも然り。要は仕事帰りのビジネスマンが、リングサイドに陣取ってしかめっ面で真面目に観戦している図がほとんどです。プロ野球の場合はユニフォームを着ている観客=騒がしい応援団という負のイメージもあったので、余計に際立っていたのかもしれません。

もうひとつ背景には日本人が信奉してやまない「真剣勝負信仰」があったと思います。要は人が命を懸けて真剣勝負をしているのに、それを楽しむとはとんでもない、という思い込みが、観客の心の根っこにあったのではないでしょうかね。

今でもこの真剣勝負信仰にとらわれているスポーツは、基本観客席が地味です。大相撲しかり、プロボクシングしかり。やっぱり観客が積極的に楽しもうという雰囲気は感じられません。大相撲は伝統芸能の側面がありますから、Tシャツ文化は根付かないでしょうけど、海の向こうからきたボクシングだったら、まだ変容する余地があるのではないでしょうか?

とはいえ、真剣勝負信奉の「負の側面」は、こうしたエンターテインメント化を妨げるほうにも働きやすいのではないかと私は思っています。特に日本という国は真剣勝負だったらどんなことしてもいいという、美学と自分勝手をごっちゃにしている国民性があるとも私は感じています。ですから、なかなか「利他の精神」という理念が定着しないのも無理からぬことではないでしょうかね。

昨今の日大アメフト部の「事件」は真剣勝負の「負の側面」をこれでもか、とばかりに世の中にさらしてしまいました。確かに勝てば何をしてもいいのも真剣勝負です。真剣勝負と、真っ向勝負は違うものです。どんな卑怯な手を使っても勝てばいいというのが真剣勝負の真の姿です。一説によると、兵法者・宮本武蔵の実像は、こうした卑怯な側面をもった人物だったのではないかといわれてもいます。

楽しんで応援するものへ

大相撲の場合、横綱が「変化」をしてはいけないという暗黙の了解があります。日本人なら「品格」という言葉でごまかされますが、他国から来た人はそうはいきません。彼らは「真剣勝負=自分が勝つこと」としか考えていませんから、勝つためには反則すれすれのこともします。それが彼らにとっての真剣勝負であり、正義だからです。

しかし相手をケガさせてでも勝てばいいという精神は、スポーツマンとして以前に人としてダメなことは、この事件や大相撲の騒動でも明らかになっているとおりです。現代に宮本武蔵の兵法がそのまま通用しないのと同じことだといえるのではないでしょうか?

93年のJリーグの出現は「しかめっ面をして観戦するもの」だったスポーツを「楽しんで応援するもの」に変化させました。今はサッカーも一時ほどの勢いはありませんが、Jリーグ元年当時は、社会現象とまで呼ばれたほどの勢いがありました。その象徴のひとつがカラフルなレプリカユニフォームや、公式グッズだったのです。

Jリーグがスタートしたのは1993年です。この93年の一年前にプロレス界にも革命がおきています。それは「1.4」の定着です。具体的に言うと年頭1月4日の新日本プロレス東京ドーム大会が恒例化した年だったのです。私感ですが、日本のスポーツ観戦の歴史において、Jリーグの登場と、プロレスの東京ドーム大会の定着は、リンクしていると考えています。

92年のドーム大会は、アメリカの大手プロレス団体WCWのスーパースターを招いての「スターケード」でした。ここで、本場アメリカのきらびやかなスーパースターが大挙おしかけて華やかなドーム大会の基礎を作りました。

この一連のドーム大会では、猪木さんを主体とした、真剣勝負プロレスからバトンを受け継いだ闘魂三銃士が華やかで激しいプロレスをみせて、観客を魅了しました。それはまさに新時代の象徴でもありました。

この闘魂三銃士のひとり、蝶野正洋が1996年にアメリカでスタートしていた運動体「nWo」を日本に「輸入」しました。このnWoのロゴのついたTシャツは、それまでプロレス会場でも恥ずかしくて着られないというプロレスTシャツのデザインを、一変させます。

誰に何を提供できるのか?

要は街中でも普通に着られる格好いいTシャツが登場したのです。そもそもヒールユニットが着ているTシャツが売れるという事自体、革命的なことでした。ファッショナブルヒールという言葉も、nWoというムーブメントがなければ生まれなかったでしょう。実際90年代後半はnWoTシャツを着た人が普通に街中を歩いていました。今の時代にも復刻されるくらいnWoTシャツは根強い人気を誇っています。

プロレスにおけるセンスのいい系デザインは、基本nWoの影響を受けて誕生したものがほとんどといって間違いないでしょう。中には保守本流の「街中では着られない」デザインも生き残っていますが、今では逆にそれも個性になっているような気がします。

こうしてJリーグが生まれ、東京ドーム大会が定着し、nWoブームによるデザイン面での「革命」が起こったことで、レスラーの収入源にも大きな変化をもたらしました。それは自身がデザインしたり、企画したりしたTシャツを自前で売るということですね。

私個人の主観ですが、「誰に、何のために何を提供できるのか?」という視点を一番もっているプロスポーツ選手というと、やはりプロレスラーではないかと思うのです。確かにプロと名がつくスポーツはほかにもありますが、大概はお客さんのためというより、自分のため、生活のため、ということで、プロになっている選手が多いように私には見えます。

しかし、だれに何を提供できるのか?ということを考えないと、プロレスは試合そのものが成り立ちません。自分のしたいことをしたいようにやっているだけでは、観客は蚊帳の外に置いてけぼりになってしまいます。実際、そうした独りよがりな事例をみないわけではないですが、だいたい長続きしてないですね。そもそもこれだけ娯楽がある中で、そんなのにお客様が貴重な時間とお金を割く意味もないのです。

自分も楽しんで人も楽しませる

件のJリーグのレプリカユニフォームには大概背番号12が刻印されています。これは11人でやるサッカーの「12番目の選手」=「観客」という意味があるということなのです(ちなみに2004年に背番号の規則が改正されて、クラブごとに欠番が認められるようになりました。そのため多くのクラブが背番号12をサポーター用の番号として選手には与えなくなりました。が、一方でチームごとに事情は異なっていますし、またワールドカップの代表チームなどでは、背番号1~23で欠番を作ってはいけない規則になっていますので、背番号12も当然使われています)。

要するに、ゲームを作るのは選手だけではない、という考え方を日本に広めたのもJリーグだったのです。しかしもともとその考え方が根底にあって成り立っていたプロレスでは、ごく当たり前のように、「お客さんのために体を張り、知恵を使う」ことが選手にも団体にも徹底されていたのです。ですからお客さんも自然に能動的に「試合に参加」できていたのですね。

プロレス界でヒットしているTシャツを生み出している選手は、だいたいこの「誰に、何のために」という視点をもって試合している選手が多いですね。こういう選手は人格面は別にして、プレイヤーとしても大変優れている例が多く見られます。

ヒットTシャツがもたらす収入は多くて月200万にものぼるといいます。これが固定収入としてあれば、浮動票のチケット収入に頼らなくて済みます。現にそうしてご飯を食べている選手もたくさんいますからね。このnWoがもたらしたムーブメントが、レスラーの収入源をも変えたというのはあながち間違った話ではないではないでしょうか?

こうして考えると、多少飛躍的な論理にはなりますが、日本的真剣勝負に固執した結果、プレイヤーや観客は幸せになっているとは言えないと私は思っています。むしろ自分の利益を損なってしまう事のほうが多いのではないでしょうか?結局、利己主義の結末は「誰も幸せになれない」ということなのです。

自分も楽しんでなおかつ人も楽しませる、そんな「ありかた」のほうが、日本で真剣勝負と呼ばれているものよりずっと素晴らしいと私は思うのですけどね。その象徴のひとつがnWoTシャツだったのではないでしょうか?

アメフト部の事件でもそうですが、どのみち真剣勝負という概念自体が時代から取り残されつつあるのに、まだそれにしがみついている人の姿をみていると、正直滑稽以外の何物でもないな、と私は心の中でせせら笑っているのです。

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