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[プロレス人物伝] プロレススーパー人物列伝 馬場元子・元全日本プロレスオーナー

2018/05/08

 *馬場さん「だけ」の味方

馬場元子さんが亡くなられました。私には日本プロレス史上、稀代の大ヒールとしての元子さん像が強く印象にあるため、死者に鞭打つようで恐縮ですが、ここでは私が知る馬場元子像を記しておきたいと思います。

最初にはっきりさせておきたいのは、元子さんはよくも悪くもジャイアント馬場さん「だけ」の味方であり、最後までそれを貫いていたことです。

当然馬場さんにとっては最高の奥さんだったはずです。かつて元子さんは「馬場さんのものは髪の毛1本誰にもあげたくない」とまで言われていたそうですから、これだけ言ってくれる嫁ってなかなかいないんではないかと私は思います。

この元子さんの一言はネットに拡散しているもので、裏があるわけではありません。しかし今だと「なんとなくわかるなあ」という感じがするから不思議なものです。ちなみに和田京平全日本プロレス名誉レフェリー曰く、

「昔はね、元子さんが『京平、馬場さんが仕事ばかりしているから遊びに連れて行って』と言うんで、俺がゴルフ場に送迎すると『あなた、馬場さんを独占しすぎ!』と怒るわけですよ。こっちも若かったから『何だとこのクソババア!』と怒鳴って大ゲンカしたことは一度や二度じゃない」(東スポWebより抜粋)

ということもあったらしいです。私がネットの噂に信憑性を感じている所以たるコメントですね。

見方を変えると元子さんは「女帝」とか「独裁者」とか言われてしまうわけです。どんなに周囲から嫌われようと自身の信念を曲げなかったことは特筆に値しますが、元子さんが馬場さんやごく少数の側近以外から慕われなかったのは、ひとえにこの「馬場さんのものは髪の毛1本誰にもあげたくない」という信念によるものでしょう。

いうまでもなく本名・馬場正平さんは馬場元子さんの旦那さんです。しかし「ジャイアント馬場」というビッグネームはある意味「公的」な意味合いがあります。それは「全日本プロレス」も然り。要するに「ジャイアント馬場」「全日本プロレス」という名前で商売している以上、社会とのつながりはきってもきれないわけですね。

 *誰にもあげたくない

ところが、「馬場さんのものは髪の毛1本誰にもあげたくない」元子さんは、これを混同していたのではないかと私は思うのです。元子さんの悪評についてはそれはもう亡くなったミスター・ヒトさんをはじめ、色んなレジェンドの方々からお話(という名の悪口・笑)をききましたが、今となっては真相は調べようもありません。

事実確認をしないでいいんだったら、この手の噂に関しては山ほど面白い話があるんですが、ここでは本筋からずれてしまいますので、省略します。

でももし元子さんが「プロレス界」の味方で、「全日本プロレス」愛があるのだったら、おそらくここまで酷い言われようはされなかったでしょう。そしてもし、馬場さんが団体を旗揚げするという選択をしなかったら、おそらく元子さんは躊躇なくフリーランスになった馬場さんについていき、マネジメントをしていたでしょう。私はそう思います。

ところが、馬場さん・猪木さんが日本プロレスを離脱した時代というのは、まだスター選手が団体を率いて巡業するというスタイルでプロレスが成り立っていました。同時にそれはよくも悪くも個人商店でもあったわけです。

ですが、「全日本プロレス」という会社を立ち上げた以上、これは馬場さんとイコールにはならないわけです。なぜなら、プロレスは基本一人ではできません。大勢の社員や配下の選手たちの生活も保障しないといけませんからね。

当然、利益は働いた分社員に分配されないといけませんが、「馬場さんのものは髪の毛1本誰にもあげたくない」元子さんにとっては、「馬場さんが稼いだ利益」を社員に分けるなんてとんでもないことだったんではないでしょうか?いくら個人商店でも経営者としては真っ黒な発想ですけどね。

*馬場争奪戦の終焉

一説によると、馬場さんの日本プロレスからの独立は、日本テレビが仕掛けたという話もあります。日テレとしてはジャイアント馬場というキラーコンテンツを手放したくなかったのでしょう。あわよくば独占したかったのかもしれません。実際、ワールドプロレスリング(テレ朝)内で放送されていた日本プロレスの試合に馬場さんがでてくることはありませんでした。

全日本プロレスには一時期、日テレの出向という形で日テレの役員が社長になっていた時代があります。のちにほどなくして馬場さんが社長に返り咲くのですが、正直日テレの介入は、馬場さんを独占したいであろう元子さんにとっては面白くなかったことでしょう。実際全日本プロレスの旗揚げに関しては、元子さんの実家が相当な援助をしたという話も聞いてます。

こうして日テレと元子さんとのジャイアント馬場争奪戦は、馬場さんの死去にともなって終焉を迎えます。当時四天王プロレス全盛期だったとはいえ、全日本プロレス中継は深夜帯においやられ、日テレもかつてのようにプロレス中継には情熱を傾けなくなりました。

ましてやジャイアント馬場という知名度抜群のコンテンツを失った状況では真っ先に「リストラ」されても仕方なかったともいえますね。

ほどなく日テレでは、全日本プロレス中継が終了し、「コロッセオ」という番組を経て「ノア中継」がはじまりますが、これも三沢さんの死去に伴い、終止符が打たれます。

私の想像ですが、馬場さんのいない「全日本」は元子さんにとって意味があったのかどうか・・・なんとも疑わしいところです。形の上では元子さんが社長になっていた時期もありましたが、これも当時はほかになり手がいない状況でしたし、結局、武藤敬司に譲り渡す格好で手放しています。その後、昨今の秋山政権になるまで全日本は暗く長いトンネルの中に入っていってしまいます。

正直、元子さんってプロレスに対しての愛情もあまりなかったのかもしれませんね。馬場さんのことはいくらでも語るけど、プロレス界についてとか、全日本について深く語った記事を私は見た記憶がないのです。

*馬場さんを独占しても…

そもそも会社の創設者が会社を私物化した結末は、一般企業でもそうですが、だいたいろくでもない結果に終わっていますよね。新日本プロレスの場合、猪木さんが個人事業で好き放題しすぎたことが原因で、下からのクーデターによって政権が転覆しましたが、全日本はよくも悪くも馬場さんの個人商店の域を出なかったのでしょう。もっとも全日はクーデターのかわりに大量離脱という形で選手や社員に造反されていますけどね。

幸い、馬場さんには師・力道山や猪木さんのような事業欲もなかったようですから、それが結果的に全日本を大きくできなかった・・・いや、しなかった要因なのかもしれません。

まあ、これらはいずれも私の推測の域をでていませんし、事実はどうだったのかとかは確認のしようがありません。ただ、以前馬場さんがご生前の時分に、週刊プロレスが打ち出した「みんなが格闘技に走るので、私、プロレスを独占させていただきます」というキャッチコピー。これは当時編集長だったターザン山本さんの発案だそうですが、色んな人が独占したかったのはプロレスではなく、ジャイアント馬場というビッグネームだったとしたら・・・・どうでしょうか?

でも、私には馬場さんを独占してもプロレス界には何もいいことがなかったように思えてなりません。馬場さんがあんなに早逝されるとは思っていませんでしたが、結局、どっちにしてもジャイアント馬場という選手の終焉はいつか訪れることには違いありませんからね。

結局、新日本が脱・猪木で成功したのと同様に、全日本の復興は脱・馬場でしかなしえないのでしょう。今の秋山政権は馬場時代を踏襲しつつ、新しいものを取り入れていっています。これは元子さんが関与していたら絶対できなかったことでしょう。実際、三沢政権がとん挫したのも、当時全日本のオーナーであった元子さんの意向に沿わなかったからだともいわれています。

そういう意味では元子さんが、馬場さん以外に興味を持たず、プロレスを独占しないでくれていてよかったなとも私には思えるのです。

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