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WWCG Hall of Fame 2017 テーマ曲編

2018/01/06

いずれ劣らぬ中で

昨年とは発表順を逆にしてみたWWCG Hall of Fameですが、いよいよテーマ曲編です。

と言ったはいいのですが、実は今年テーマ曲に関する記事があまり書けていなくて候補になりうる曲があまりないというのが本音です。

とはいえ、やはり少ないとはいえ、とりあげた曲は何れ劣らぬ名曲ばかり。さすがにスルーするわけにもいかず、いろいろ悩んだ結果、これにしました。

ザ・グレートカブキのテーマ「ヤンキーステーション」。

殿堂入りの理由としては、

「テープ編集で三曲を合体。完成度の高いテーマ曲を作り上げた当時の全日本プロレス中継スタッフの技術」

が一番に挙げられます。今でこそ、デジタルで素人でもソフトさえあれば、比較的楽に編集することが可能ですが、カブキさんの全盛期にはそんな便利なものはありませんでした。従って全てがアナログ作業になるわけで、当時の音響スタッフのご苦労を思うと、ひたすら頭が下がるわけです。

東洋の悪魔時代

もう8年も前になりますが、まだ水道橋近くにお店があった時代に、カブキさんから直接いろいろ貴重なお話をさ聞かせていただいたことがあります。

多分カブキさんの本にも書かれていたはずですが、ダラスエリアでカブキさんが東洋の悪魔と呼ばれていた時代の話をご紹介しましょう。

当時のダラスは鉄の爪ことフリッツ・フォン・エリックが仕切っていました。彼には、ケビン、ケリー、デビット、マイク、クリスと言った、のちに優れたチャンピオンになる逸材の息子たちがいました。

カブキさんによると「フリッツは家でも息子たちに、自分のことをパパとは呼ばせなかった。必ずイエス、サー、ノー、サー、という感じの教育をしていた」そうです。

ある日、オフィスに呼ばれたカブキさんに対してフリッツは「近く息子たちをプロレスデビューさせたい。しかし、道場でトレーニングする時間がない。そこでユーに息子たちを実戦で鍛える教育係を任せたい」と言ってきたそうです。

カブキさんはボスの命令を受け「では、アメリカンスタイルでいきますか?それともジャパニーズスタイルでいきますか?」とフリッツに問うと、「もちろんジャパニーズスタイルだよ」とニヤリと笑ったそうです。

そこから、新人選手のエリックジュニアたちは来る日も来る日も、大観衆の前でカブキさんにボコボコにされ続けたそうです。おかげでまあ、息子たちは立派なメインイベンターにはなりましたが・・・

まあみているお客さんからすれば新人選手をひたすらぶちのめすカブキさんは悪魔にみえたでしょうね。しかし、実の息子たちがカブキさんに叩きのめされていく姿を、フリッツは必ずみていて、カブキさんの仕事ぶりに満足げな笑みを浮かべていたそうです。

鉄の爪一家の末路

ちなみに、エリックファミリーはどうなったかというと、

1984年2月10日、三男のデビッドが全日本プロレス来日時に内臓疾患により急死(25歳没)。次いで1987年4月12日、五男マイクが毒素性ショック症候群による苦しみから精神安定剤の過剰摂取により服薬自殺(23歳没)。さらには1991年9月12日、六男のクリスがピストル自殺で死去(21歳没)。また1993年2月18日には、四男のケリーがコカイン他の違法薬物使用により起訴され、有罪になり、同日に自宅で拳銃自殺を図った(33歳没)。

こうしてレスラーとして活躍していた5人の兄弟のうち4人が10年の間に相次いで病死・自殺などで怪死し、また幼くして事故死した長男を含めて6人中5人が若くして死去したため、フォン・エリック親子は「呪われた親子」というレッテルを貼られることとなった。

1997年9月10日にはフリッツ自身も癌で死去(68歳没)。残ったのは次男(プロレスラーのフォン・エリック兄弟としては長男)のケビンのみとなった。(ウィキペディアより)

という末路を辿っています。

カブキさんの話を聞いた限りでは、鉄の爪ファミリーが呪われていたというより、父としてのフリッツがかなり歪んでいたことが、こうした「謎の死」の一因かもしれないな、と私は考えています。

そんなエピソードもヤンキーステーションを聞いていると思い出すのです。

以上、WWCG Hall of Fame 2017の発表でした。








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