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[プロレスブログ] 200%元気になれる!世界プロレス式コミュニケーションガイド研究所長の発想の転換のすすめ(35) 生きざまを見せる

今回は練習のお話です。基本人前で技術を披露するためには常に腕を磨く必要があります。企業で言えば投資のようなもので、ここにお金や時間をかけられないようだと自己研鑽もおそろかになっていきます。

具体的に例をあげましょう。プロレスラーはアマだろうとプロだろうと練習をしない人間がリングにあがるべきではない、という考え方があります。大多数の選手は練習してリングにあがりますが、中にはそうでない選手もいます。故人を槍玉にあげるのは恐縮ですが、破壊王橋本真也は大の練習ギライで有名でした。ただ、練習がキライだからといって練習していないのかというとそうではなかったらしいですね。

問題は練習はしないけど、リングにはあがりたいというタイプですね。おそらく彼らにはキツイことはしたくないけど、美味しい目にはあいたいという願望があるのでは?と私は推察しています。しかしながらプロレスはどう見られるか?が大事なポイントなので、未熟な技術で人前に出ても彼らが望むような賞賛は得られない場合がたくさんあるわけです。

誰に見せるわけではないプロレスごっこならそれだけでもいいのですが、えてしてこういうひとたちは、高い評価だけはほしいので、自分に足りないものを練習で補うという発想がありません。ですから、求める評価も得られないし、自分の満足感も得られないのです。

そもそもプロレスになぜ練習が必要なのかといえば、

(1)高い技術を身に着け、自分を守る
(2)よいパフォーマンスをするため
(3)生きざまを見せる

ことが目的として考えられます。普通のスポーツと違うのは(3)の部分が多くを占めているところですね。くだんの橋本真也選手は練習嫌いではありましたが、この自分の生きざまを人に見せられるという意味では大変卓越した才能を持っていました。晩年はその才能にのみ頼ったせいか?不摂生もたたって短命でこの世を去ったわけですが、才能だけで練習しなくてもリングに上がれる人間というのはごくまれにいるのです。しかしそれは決して多くはありません。大多数の人間は普段からけがをしないための受け身を身につけ、けがをしにくい肉体つくりにいそしむ姿勢がないと、やはりリングにはあがるべきではないのです。

練習は確かに即効性には直結しないでしょう。でもそこににじむ生きざまは確実に形成してくれるので、仮に不細工なパフォーマンスでも心に訴える何かを印象づけることはできるのです。だとしたらしないよりはした方がいいと私は思います。

かくいう私も仕事の技術だけでなく、生きざまの部分でも自己研鑽は必要だと思っているので、自分がより良いパフォーマンスをするための練習は欠かさないよう心掛けています。そうできるのは、プロレスから学んだ「練習は裏切らない」という信念が自分自身に納得のいく形でしみ込んでいるからかもしれません。






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