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プロレスよありがとう!クレイジーでモンスターな好事家がマニアに捧げるメモリアルブログ(25) モンスター的プロレスコラムその20

2016/11/17

トランプ大統領選出によりにわかに注目を集めているのがTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)ですが、このTPPを何回か見ても聞いてもTPGに空目、空耳してしまうのは、たぶん相当年配のプロレスファンでしょう。いうまでもなく、国際問題とは何の関連もありません。

TPGとは、「たけしプロレス軍団」の略称です。

ウィキペディアによると

ビートたけしが当時懇意になりつつあった東京スポーツの紙上(1987年9月8日付け)で「プロレス団体設立」をぶち上げたのが発端。設立の動機を「オイラがプロレスファンという事もあるけど、最近のプロレスに感じられなくなった力道山時代の熱気を、ぜひ取り戻したいと思った」と語り、手駒の選手をスカウトしたり育てたうえで、「手始めにアントニオ猪木に挑戦したい。何といっても日本でナンバー1のプロレスラーだから」と、その目標を明らかにした。

(中略)

その後、『たけしのオールナイトニッポン』内で練習生を募集。都内に秘密道場を用意してトレーニングを積ませた。この時彼らを指導したコーチはアポロ菅原である。練習生のなかには、脇田洋人(現:スペル・デルフィン)、秋吉昭二(現:邪道)、高山圭司(現:外道)がいた。当初の構想としては、後年のアニマル浜口トレーニングジムや闘龍門のようなスタイルでの運営が予定されていたようだが、後述の両国暴動により企画、団体が自然消滅し、秋吉らは紆余曲折の末にプロレスデビューへとこぎつける事になった。

となっています。

何気に凄いメンバーですよね。泉佐野市市議会議員に、現・新日本プロレスのブッカーがまさかTPG練習生から誕生しようとはこの時誰が予想したでしょうか?

さて、たけしさんにはフライデー襲撃事件(1986年)があり、当時のレギュラー番組への出演については、執行猶予判決が確定するまでの約8か月間謹慎することになり、翌87年にテレビ復帰し、88年にはフライデー編集部とも和解してますが、まだ映画監督になる前の話ですし、タレントとしてかなりバイオレンスなイメージがついていました。まあ、ぶっちゃけ新日本プロレスに乱入してきても不思議ではなかったわけです。

しかし、当時の新日本プロレスのファンというのは、それはそれは洒落が一切通じない武闘派みたいな集団でした。たけし軍団も武闘派といえば武闘派なんですが、いかんせん数万の軍勢に何十人かの人間がケンカ売っても勝ち目はないですよね。ましてや国際プロレス経験者の将軍KYワカマツはまだしも、プロレスに関しては素人の芸人が、世界最強(とファンが信じていた)アントニオ猪木に挑戦状を叩きつけるとは何ごとか!という雰囲気だったわけです。

そこで猪木さんとの因縁が深まったマサ斎藤さんがたけしさんに接近。「打倒猪木」で意気投合し、マサさんはTPGの参謀役を任され、また渉外的な役割をガダルカナル・タカさんとダンカンさんが務めることになりました。

そして1987年10月9日に新日本プロレスの事務所に出向いて山本小鉄さんに挑戦状を手渡ししたのですが、プロレスをなめるな!」一喝されています。しかし、12月4日にはリングに上がり猪木さんに直接挑戦状を渡すなどしました。この時の音声テープをとある場所で聞いたことがあるのですが、怒号が飛び交う殺伐とした中で、ダンカンさんやタカさんの声が震え気味なのがわかります。

こうしてTPG参戦は12月27日の両国国技館大会に決定し、猪木への刺客がビッグバン・ベイダーであることが発表されました。しかし問題はここからでした。当初、両国では藤波辰巳&木村健吾組対マサ斎藤&ビッグバン・ベイダー組のタッグマッチが組まれていました。しかし、選手と共にたけしさん、タカさん、ダンカンさんがリングに上がり、「我々の挑戦状を自ら受け取ったのだから、ベイダーと戦うべき人はアントニオ猪木さんのはずです」と挑発、更にダンカンさんが観客に向けて「あんたらアントニオ猪木の逃げる姿を見に来たのか?あんたら猪木を卑怯者にしていいのか?やらせろーっ!やらせてくださーい!やらせてくれー!」などとアピールし、続いてマサ斎藤さんも「猪木!この男(ベイダー)と戦え!俺がわざわざアメリカから連れてきた男だ!怖いか?猪木!出てこーい!」と猪木さんを挑発しました。この時たけしさん本人は黙ったままでした。これに対して猪木さんは、観客に向かって「受けてやるか!どーですか!」と呼びかけ、当初より予定されていた長州力選手とのシングルマッチを中止し、ベイダーとの対戦を宣言すると場内は騒然となってしまいます。

猪木さんがベイダーと戦うことになった為、その振替試合として長州&斎藤組対藤波&木村組のタッグマッチが急遽行われたのですが、突然の試合変更に納得がいかない観客席からは試合開始前から、「やめろ、やめろ!」というコールが起きリングに次々と物が投げ込まれました。この試合終了後に長州選手がマイクを持って「マサさんよく聞けよ、何で俺が代わらなきゃいけないんだ!」とマサさんに不満をぶつけると共に「みんな、納得いかなくても頼むから試合だけはやらせてくれ!お願いだから物は投げないでくれ!みんな必死でやってるから!猪木だったら俺がやる!倒すから!」と観客に冷静になるよう呼びかけました。

この長州選手のアピールに猪木さんが応える形でメインイベントの前に猪木対長州の対戦が急遽特別試合として行われ、会場は落ち着きを取り戻しました。先の試合でのダメージが残っていた上に、顔面骨折が完治していない状況の長州選手が、猪木さんの攻撃により顔面から大量に出血。猪木の卍固めでギブアップ寸前の所にセコンドの馳浩が乱入し、試合阻止による長州の反則負けになりました。この不透明決着に納得のいかない長州が馳をリング外に投げ飛ばし、若手に掴みかかるという大荒れの結果になってしまいました。

そして猪木さんは、ダメージが抜けていないまま、ベイダーとの一騎討ちへと突入し、ベイダーの一方的な攻撃の末、全体重をかけた(オクラホマ・スタンピードであっさりとピンフォール負けを喫してしまうバッドエンドを迎えます。この試合を見た観客が再び騒ぎ始め、最終的には暴動騒ぎにまで発展しました。

この時代にヤングライオンだった船木誠勝選手に当時のお話を聞いたところ「あの頃は暴動が起きるのが当たり前だと思ってました」と言われて驚いた想い出があります。セコンドや雑務で毎回会場入りしている、当時10代の船木選手は、会場の殺気立った空気を肌で感じられていたのだなあ、と感慨深いものを感じました。

のちに世界的映画監督になるたけしさんとのコネクションができていたものを、やはり時代が早すぎたんですかねえ。トランプ大統領とビンス、WWEとの関係性をみていると、いかに優れたアイディアでもタイミングが合わないと、チャンスどころか大厄災をもたらす結果になるということを、TPGの一件は教えてくれたのですね。

 

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