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[プロレスコラム]プロレス想い出コラム~林祥弘との尽きない想い出の数々(7)

2018/02/27

林祥弘を語るうえで外せないもうひとつの試合、それが2016年7月31日のGWAタッグ戦である。ことの発端をかなりざっくりと説明しておくと、2015年の11月1日にGWAタッグベルトに挑戦し、見事タッグ王者に輝いたのが、松江だんだんプロレスのミステリコ・ヤマトとマツエデラックスの二人だった。山陰統一シングルチャンピオンでもあるマツエデラックスと、だんだんプロレスの象徴でもあるヤマトのタッグは一見すると急造タッグのように見えたが、実際の彼らは動けて頭もよく戦略をしっかり練ってベルト獲りにきていた。その結果ベルトは松江に流出という事態になってしまった。明けて2016年3月6日、奪還を期して敵地・松江に乗り込んだがむしゃら勢は、あろうことか返り討ちにあってしまう。そこでおさまりがつかないのが、試合後乱入してきたgWoだった。ほぼフライングで次期挑戦者に名乗りをあげたgWoのおかげで、話は急展開。ついに松江対がむしゃらの全面対抗戦という形で7月31日を迎えた。

で、話は一旦11月のベルト流出時に戻るのだが、松江と交流が始まって皆勤賞で松江に遠征していた林から非常に興味深い話が聞けた。林曰く、実はマツエデラックスというのは最初、それほど注目すべき選手とは思っていなかったそうで、それが半年たってがむしゃらにあらわれたときは別人のようになっていたという。彼といろいろ話をしていくうちにがむしゃら勢が遠征し、11月に迎え撃つまでの間に実はマツエデラックスは大日本の関本大介とシングルでぶつかっている。この試合を契機に松江の怪物が覚醒したのではないか?というのがこの時話した結論だった。確かに林自身も佐々木貴戦を経て大きく覚醒したし、プロと当たるということはそれだけでかいものがあるのだ。

そして、もしかしたらこの時、すでに林の頭の中にはいずれ自分がマツエデラックスと何らかの形で対戦する予感めいたものがあったのかもしれない。それがシングルだったのかタッグだったのかは定かではないが、他団体の選手の中でよく名前がでいていたのがOPGのジェリーKとだんだんのマツエデラックスの2人だったことは間違いない。残念ながらジュリーK戦は実現しないままになったけど、マツエデラックスとは戦うことができた。

実際穴らしい穴がない怪物マツエデラックスは、自信からか一日2試合のタイトルマッチを仕掛けてきた。ここでシングルベルトに挑戦したスミスが負けこそしたものの、マツエデラックスに深いダメージをあたえ、結果的に同じユニットの挑戦者・豪右衛門と林のアシストをする形になった。

ところがげに恐ろしきは松江タッグの2人で、3月以来さらに進化したミステリコ・ヤマトとマツエデラックスは形容しがたい化け物に変貌を遂げていた。確かにこの日二試合目のマツエデラックスに疲労の跡はみえたものの、超ヘビー級の豪右衛門の技がことごとくはじきかえされる。そして好連携でカバーに入るヤマトが、林にも主導権を渡さない。ここで問題だったのが、林のベルトにかける意気込みだった。昔の話とは言え、シングル路線に転向するためにタッグ路線を「卒業」した林はそこから一度もタッグ戦線には絡んでいない。だが、3月に敵地で返り討ちにあったのが、宿敵でユニットの違う七海健大であったとはいえ、自分が一度巻いたベルトが流出する事態に、心穏やかではいられなかったのだろう。彼の中のがむしゃら愛は再び彼をタッグ戦線に引き戻してくれた。

試合は引くに引けないがむしゃら勢の気迫がだんだんチャンピオンサイドをおし始めていた。途中からヤマトではなく、マツエデラックス狙いで試合を進めた結果、何度もリング下で大の字になるマツエデラックスの姿を目にして「これはいける!」と手に汗を握って応援した。声がかけるほどの大・林コールに後押しされて、何度もダウンしたマツエデラックスのカットをも最後は弾き飛ばした。ヤマトを仕留めたダイビングダブルニー(キングコングニー)は林の渾身の一撃だったと私は思う。あれがはずれていたら万事休すだっただろう。

実は林の試合には悪役転向後もひとつだけウィークポイントがあった。それはスタミナの問題だった。実際一年のブランクを取り戻すまでちょいちょい息切れしているシーンもみられたので、「さすがに実戦から離れていると仕方ないかなあ」とも思っていたのだが、彼自身もそれは承知していたようで何度となく「禁煙しようかな」と漏らしていた。結果、禁煙もせずに、スタミナ切れしない身体を作り上げた上に、キングコングニーという新しい必殺技まで作って短期間ながらシングル王者にもなった林の努力には本当に心から感動した。

そして王座を失った試合も佐々木貴戦もこの試合も非常に内容的にきつい試合だったのについに一度も息をあげることなく試合を完成させた。これは本当に特筆すべきことだろう。精魂こめた試合後、しばらく立てない両チームがお互いの健闘を称えあう姿は本当にすがすがしいものだった。ベビーフェイスもヒールも関係なく、ただのプロレスラーとして純度100%でぶつかり合った試合、それが7.31のタッグ戦だったと私は思っている。シングル王座を差し置いてタッグがメインになることも異例だったけど、林・豪右衛門はその重責を感じながらきちんとメインイベンターとしての仕事をした。あの日は私にとっても忘れらない一日になったのだった。

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