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[プロレスコラム]プロレス想い出コラム~林祥弘との尽きない想い出の数々(1)

2018/02/27

この文章を書くにあたって、どういう風に書いていこうかいろいろ悩んだところだけどやはり、プロレスのことで書いていったほうがいいと思った。それと同時に林祥弘と私の共通点である「山口県人」という部分は外せないと考えた。もちろんそれ以外の林祥弘を知っている人もたくさんいるだろうけど、私の記憶の中ではプロレスをやっている姿と、プロレスについて熱く語る姿と、山口県人という出自に誇りを持っている姿が一番印象深い。だからこの3つを中心に想い出話を書いていこうと思う。ところどころ私の話が出てくると思うけど、そこは私が林祥弘を語るうえで外せない部分なんでご容赦願いたい。

山口県というのはそもそも長州藩がその前身にあたる。長州藩は正式には「萩藩」である。これは、お城のあるほうの国名を藩の名前にすることになるからで、周防・長門の二国を治めている藩の場合、お城のある萩が属している長門のほうが通称になる。「長州」という言葉の意味は、「長門の国」をシャレて言った略語なので「長州藩」=「萩藩」となるのだ。だが一般的には「長州藩」と言った場合は、周防・長門の両国を版図とする「萩藩」の通称となるため、現在の山口県全体が「長州」となる。

もうずいぶん昔の話なのに、実は長門の人間は「自分こそがリアル長州人」という妙な誇りをもっている。林が生まれた宇部はこの長門にあたるため、彼がしたたかに酔うと、私とはいつも長州談議になっていた。彼は自分が長州人であることに非常にプライドをもっていて、周南市出身の長州力が長州を名乗るのをよしとしていなかった。林祥弘と周南市と長州力の名誉のために言っておくと、林祥弘が周防を差別していたのではなく、歴史上長門の国=長州ということからいうと、周防の国の人間が長州を名乗るのってどうなんだよ?くらいの気持ちがあったのだと私は思っている。もちろん一般的に周防と長門を足して長州といわれる経緯は散々学校でも習ってきたので、いちゃもんといえばいちゃもんなんだけど、でも自分が生まれた宇部を、自分が生まれた山口県を愛しているんだなということはその口調から十分伝わってきた。

だから7月31日に彼と最後に交わした会話で「(7月30日の)徳山のお祭りが土曜でなかったら自分出たかったんですよ。地元のイベントに声かけられて自分が出られないというのは本当悔しいんで、来年は絶対に出ます」と笑っていたのを私はいまだに忘れられない。この言葉からも周防、長門の枠だけでなく長州、山口県を彼は愛してやまなかったことがうかがえる。

彼が好きな日焼けサロンも小倉ではなく、なぜか周南までいっていたことがよくあった。そもそも宇部から小倉へ行くのと宇部から周南にいくのとでは時間的に同じようなものだったりする。どうかすると小倉の方が利便性では上回るはずなのに、それでも周南へ通っていた林の山口愛を私は決して忘れることはないだろう。

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